ドアを開けると赤司様がいました 199

 ピンポーン。
 チャイムが鳴った。多分征十郎だろう。征十郎だな――と征一郎も言った。多分同じ考えだったのだろう。
「ただいま」
 果たして、やって来たのは征十郎だった。征十郎の上着からは外気の匂いがする。――春の匂いだ。征一郎が征十郎の為に椅子を動かしてやった。何だか嬉しそうだった。
「征十郎。今日はほうれん草のスープだ。オマエも好きだったろう?」
「ああ――」
 征一郎が、戸籍や今日の勝負のことを言わないので、征十郎はほっとしたようだった。けれど、いつかは触れなくてはならないだろう。少なくとも、戸籍のことについては。
「いい匂いだ。ありがとう。征一郎に光樹――」
「うん――」
 征十郎が無事に帰って来てくれたことがオレには嬉しい。万が一、と言うこともあるからね。でも、そんなオレは多分すごい心配性なのかもしれない。赤司征十郎は強い男なのに。
 征十郎は、オレみたいなヘタレとは違うんだ。不良に絡まれた時だってオレを助けてくれたし。
「――コート……」
「ん。頼む」
 オレは征十郎の春用のコートをクローゼットに仕舞う。狭いクローゼットだ。――赤司家のクローゼットはきっと広いんだろうな。
 そう言えば、このコートも見ればわかるが、決してお安くはない。
 オレも家賃払ってるけど、赤司家もここの家賃を負担している。でも、世話になっているの主にオレ。こんなんでいいんだろうか……。いくら赤司家が金持ちだからってそれに甘えてばかりではいけない。
「――征十郎」
 オレは征十郎の隣に来て、スープを匙ですくった。
「はい、あーん」
「……何の真似だ?」
 征十郎は怪訝そうに綺麗な眉を顰める。――そうだよな。オレから迫ることって、珍しいもんな。
「何って……この前、フランス料理店で『あーん』してくれたから、そのお礼」
 ――それに、オレは、征十郎に元気を出してもらいたかった。そのことは別に言わなかったが。
「ありがとう」
「征十郎って、猫舌だっけ」
「ああ……まぁ、そうだ」
 征十郎が照れたように言った。オレが、息を吹きかけて冷ましてやる。征十郎がそれを口にする。
「――旨いな」
「殆どは征一郎が作ったんだけど」
「そんなこと言わなくたっていいだろう。光樹」
 征一郎は機嫌が良さそうだ。
「朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母様が……」
「ん?」
「太宰治の『斜陽』の冒頭だ。知らないかい?」
「残念ながら……」
 有名な作品だけど、オレは読んだことがない。
「一度読んでみるといい。お勧めだよ。……まぁ、『人間失格』の方は無理には勧めないがね」
 まぁ、いいんだけど……太宰治は他にもどこかで聞いたことがある。そうだ。『走れメロス』だ。
「『走れメロス』も太宰だね」
「そうだ。『トカトントン』も面白い。『駆け込み訴え』も。小学校の時読んで、オチにびっくりしたよ」
 へぇ、征十郎ですら、びっくりすることはある――と言うこととは知ってたし、征十郎は意外と喜怒哀楽が激しい。まぁ、そんなところが可愛いっちゃ可愛いかな。
 でも、オレは、その征十郎と、それから征一郎にいつもびっくりさせられる。
「征十郎。元気を出し給え。僕についてはまだ、チャンスはいろいろあるんだからね。矢沢サンも話がわかる人のようだし、木原さんだって――」
 征一郎も征十郎を慰める。征一郎も、本当はいいヤツなんだ。
「それに、オマエは僕の恩人だから――」
「オレが? 征一郎の?」
 征十郎が訊き返す。
「――ああ」
 征一郎が満面の笑みで征十郎に向かって答えた。
「それからな、光樹――僕にも『あーん』しておくれ。吐息でスープを冷まして」
「うん。わ……わかった……」
 少々冷や汗をかいて、引きながらもオレは答えた。
 ほうれん草のスープは野菜の息吹が感じられる。オレはふうふうしてから、征一郎に『あーん』をした。
「旨いな。ありがとう。光樹」
「いいえー」
 征一郎が主になって作ったんだから、もっと威張ってもいいようなものなのに――。でも、多分征一郎も変わったんだな。
 ――征一郎と会った時、こいつは絶対サドだと思ってたけど……でも、征十郎にもサドっぽいところはあるもんな……。やっぱり同一人物だ。
 そういえば……。
 ドアを開けた時、赤司征十郎がいた。あれから一年が経つんだなぁ……。
 スープをすくいながら、オレはそう思う。
 あの時は、すごく驚いた。征十郎と暮らし始めた時も、慣れないことばかりだった。それが――今では家族より近しい存在になって来ている。
 家族……そういや、父ちゃんや兄ちゃんは元気かな。母ちゃんが元気なのはわかってるけど。
 征十郎も、征一郎も、オレの家族だ。それに、何ら、不満はない。
 けれど――気になることがある。
 征十郎は精力が強い方だ。征一郎だって――きっとそうだ。同じ人物なのだから。けれど、オレの知っている限り、赤司達は今まで禁欲生活をしている。……体に悪くないかな。
 今日は、バスケで発散させたからいいんだろうけど……。
 オレは、何にも出来ないもんなぁ……せめて、赤司達に付き合うことしか……。
 けど、二本挿しは勘弁だけどな。
 そこまで考えてオレは寒気がして来た。
「光樹……顔色が悪いぞ」
 征十郎に指摘されたけど、オレは、何でもない、と答えた。
 スープもメインディッシュも片づけて暇になったオレは、ボールを弄んでいた。マイボール。黒子と火神が選んでくれた……。このボールは今でも大切に使ってるよ。黒子――そして、火神。
 オレはボールをくるくると回した。赤司達よりは下手だけど、何とか回せるようになったんだよな。
 黒子はこのボール回しが得意だった――特技も地味なヤツだったな。オレも他人のことは言えないし、そもそもボール回し苦手だったもんな……。やっぱり黒子もかっこいいよな。
 ――火神と同じでバスケ馬鹿かもしれないけど。
「もっと広かったら、ここで1on1やれたな」
 と、征十郎が言う。
「もう決着は着いたんじゃねぇの」
 オレがツッコむと、征十郎が笑った。
「オレがいいと言うまで、何度だって続ける。――けど、ここは征一郎に任せるよ。この戸籍の問題はな」
「……そういや、訊くの忘れてたけど、征十郎はハッキングしてどうするつもりだったの?」
 オレが訊くと、征十郎が妙な顔をする。そして続けた。
「――光樹にもわかっていたと思ったんだけどな……データを駆使して、『赤司征一郎』という存在の出生を捏造――いや、一から作り上げようとしたんだ……本当のこと言ったって、誰も信じてくれそうにないからね」
「そうだな。光樹。本当はお前も信じていないだろ」
 征一郎の言葉に、オレは頭を振った。
「オレは……あまり疑ったことはなかったよ。そりゃ、征一郎の出現の話は征十郎の話でしか知らないけどね。だから……征十郎の言うことを信じるしかないんだけど……」
「――オレを信じてくれるのか、嬉しいな」
 征十郎は満面の笑顔を見せる。どきりとした。
「じゃあ、僕はシャワーを浴びて寝るぞ。――じゃんけん」
 ああ、そうか。シャワーの順番を決めなきゃな。オレはじゃんけんをして勝ったので、一番風呂に入ることが出来た。そして、眠りについた。
 ――夢を見た。
 いや、完全に目が覚めた時に夢だってわかったんだけど――それは、悪夢だった。
「バイバイ。光樹――元気で……」
 そう言って、征一郎が消えてしまう夢。オレはガバッと跳ね起きた。
「はあっ、はあっ、はあっ――うわああああああ!」
「何だ? うるさいぞ。光樹……」
 征一郎と征十郎もオレと同じ部屋で寝ているのだ。オレは泣いていた。
「征一郎!」
 オレは涙を流しながら叫んだ。オレは征一郎と思われる方のパジャマにしがみついた。征十郎と征一郎は、色の違うパジャマを着ていたから。枕元にはランプが点いている。
「聞いてくれ! 征一郎! オレは、オマエが消えた夢を見たんだ!」

後書き
夢見が悪いね、降旗クン。
征一郎クンは最早、そう簡単には消えないと思いますが。
2021.07.30

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