ドアを開けると赤司様がいました 192

『どうした? 光樹』
 ――受話器の向こうから、征一郎の心配そうな声が聞こえて来る。
「いやぁ……オレさ、今日、湯豆腐にしちまったんだ。オマエの好きな。玲央サンもここでご飯食べる予定だし――」
『何だって?!』
 征一郎の声が気色ばむ。うっ、なんかシャクに触るようなこと言ったかな。オレ……。別に、変なことは言ってないつもりだけど……オレが心配していると、征一郎が続けた。
『ああ、済まん。だったら、木原さんの約束をキャンセルすべきだったな。よし、今からでも遅くないから……』
「征一郎クン、何だって?」
 玲央サンがオレにこそっと訊く。
「なんか、木原サンと用事があったんだって。でも、キャンセルにすると言うから……」
「――代わって」
 玲央サンがオレから受話器を取り上げた。
「あ、征一郎クン? いいのよ。アタシが征一郎クンの代わりをしてあげるから。湯豆腐もいっぱい食べるし、光ちゃんの相手もしてあげる。そんじゃね~」
 そう言って、玲央サンは電話を切ってしまった。
 え、ええと……いいんスかね……。
「玲央サン?」
「ああ、征一郎クンだったら大丈夫よ。すぐに来るわ」
「ほんとかな~。……征一郎のヤツ、怒ってないといいけど……」
「そうね。怒ってたわね」
 ――やっぱり。
「でも、征一郎クンが怒っているのは、アタシに対してだけよ。光ちゃんには、何にも心配いらないからね」
「それが気になるんだよ。征一郎、玲央サンに対して悪印象抱かないといいけど――」
「光ちゃん、アタシの心配してくれるの?! うれし~! 光ちゃんて意外といい男だったのね! 征ちゃんが惚れたのもわかるわぁ」
 玲央サンはオレに抱き着いて来た。く、苦しい~! 助けてくれ~! ――ああ、これが可愛い女の子だったらなぁ……。
「こら、玲央。オレの光樹に何をする。征一郎よりも先に、オレがオマエに悪印象抱くぞ」
「ふうん。オレの光樹、ね。征ちゃんてほんと、独占欲強いんだから。しつこい男は嫌われるわよ」
「光樹はオレを嫌わない」
「あら、随分なご自信ね……流石は征ちゃんだけのことはあるわ。――これから光ちゃんを巡って、決闘でもする? バスケでも、トランプでも……」
「実渕……!」
 やべ。ほんとに征十郎のヤツ、怒ってやがる。声でわかるもん。雰囲気でわかるもん。それに対して何も出来ないオレは情けないチワワ野郎です。神様助けてください! オレには祈ることしか出来ません……!
「――冗談よ」
 玲央サンがオレを放してくれた。ごほっ、ごほっ、とオレは咳き込む。征十郎も征一郎も怒ると怖い。それがわからない玲央サンではないはずなのに……だって、征十郎相手にあんなに渡り合っていた玲央サンなんだもん。
「実渕……いや、玲央……こんな冗談は……大丈夫か? 光樹」
 征一郎は、オレの背中をさすってくれた。
「だあって、征ちゃんてば、光ちゃんにラブラブでつまんないんだもん。ちょっとからかってみただけよ」
 そして、玲央サンは片目をつぶった。灰崎よりも、この玲央サンの方が扱い辛いんじゃないか? そういえば、灰崎はどうしただろう。今から夕食の用意でもしてたりして。
 ――灰崎も料理上手いって聞いたことあるからな……。
 十分ほどした後、きぃっ、と、タクシーの止まった音が聞こえたような気がした。――そして、チャイムの音。
「征一郎クンだわ!」
 玲央サンがたっと駆けて行く。征一郎が帰って来たのだ。その様子は地獄からの生還と例えてもいい程怖かった。
「玲央……」
「さぁさ、あがって。大丈夫。光ちゃんには手を出してないから」
「本当だな?」
「ほんと、ほんと」
「光樹。こいつには気をつけた方がいい。こう見えて結構手が早いからな。玲央は」
 それは、何となくわかる気がする。それに、玲央サン美人だし。――男と言う欠点を除けば。いや、男でもいいと言う、酔狂なヤツなら、玲央サンも範囲内かもしれない。
「あらぁ、ご挨拶ね。アタシはモテるけど、こう見えてもちゃんと吟味してるのよ。光ちゃんだったら、アタシはいいんだけどね」
 いや、オレが良くないの。
「玲央! オマエの本命は光樹じゃないだろう! 光樹を弄ぶと許さんぞ!」
「――中学時代、相手チームの選手を弄んだのはどなた様でしたっけ?」
「玲央! 弄ぶの意味が違うだろう! 僕も充分反省した! もう、バスケで下らんお遊びをやるのはやめにしたんだ! 点取りゲームで遊ぶのもやめにした! 高校バスケではそんなこと、通用しないからな! それに、黒子と火神と、そして――光樹がいたから、僕は生まれ変われた!」
「征一郎クン……」
 征一郎は声を張った。表情は厳しい。何だか初対面の頃を思い出す。
「な、みんな……もう揃ったんだし、湯豆腐始めない?」
「あら、まだ早いわよ。それに、喫茶店から帰ってまだ間がないじゃない」
 玲央サンが言う。――よし、上手く誤魔化せた。
「いや、結構経ってるよ」
「そうなの。アタシが征ちゃんの話を聞いている間に、もうそんなに……」
「それより玲央。今日は湯豆腐って本当だな。木原さんを振り切って来たんだからな。僕は」
「そうよ。間に合って良かったわね。征一郎クン」
 玲央サンはしれっと言った。
「おい、玲央。何で僕のことを呼ぶのに『征一郎クン』なんて言うんだ?」
「だって、二人とも『征ちゃん』じゃややこしいじゃない」
 とっくの昔にややこしいことになってるだろうが。オレは、はーっと息を吐いた。征十郎が、ぽん、と肩を叩いた。気持ちはわかるよ。――そう言いたげに。
「玲央の方が、光樹より順応性が高いな」
 ――むっ、悪かったな。どうせオレは慣れるのに時間かかるよ。
「でも、馬鹿な子ほど可愛いって言うじゃない?」
 ……玲央サンと母ちゃんは、こういうところでは気が合いそうな感じがする。
「コンロ出してくれ。光樹。鍋はオレが出す」
 征十郎が鍋を出す。オレは卓上コンロの係。でも、その前に台所の火で水を温める。
「アタシ、何か手伝えることはある?」
「玲央は客だ。座っててくれ」
「――つまんないの」
 お湯と豆腐が入った鍋を運んで来た征十郎。オレは卓上コンロに火をつける。醤油は温めない方がいいみたいだ。征十郎が、取り敢えずオレ達が食べる分だけ豆腐を鍋に入れる。
「まぁ、美味しそうな匂い」
 玲央サンが相好を崩す。確かにいい匂いだ。おかかもあるしな。
「うん。やっぱり豆腐がいいからな。光樹のおかげだ」
 いや、そんな褒められるようなことはしてないんだけど……。もし手柄があるとすれば、豆腐を作ったおばさんだ。
「アタシ、湯豆腐は久しぶりだったのよね~。この豆腐、いい色してるじゃない。もしかして、特別に作られたお豆腐?」
 玲央サンのその言葉を聞いたら、豆腐屋のおばさんもきっと喜ぶな……。
「さぁ、もういいだろう。いただきます」
 オレ達は四人で鍋を囲みながら手を合わせた。
「うん、旨い旨い」
「やぁだ。光ちゃんたらそれしか言えないの?」
 う……。どうせ口下手さ。わかってるよ。
「でも、光樹の表情を見てごらん、満足そうだよ。――ねぇ、光樹」
「うんうん」
 オレははふはふと豆腐をしゃくいながら頷く。あ、征十郎も征一郎も息を吹いて一生懸命冷まそうとしてる。……二人とも猫舌だもんなぁ……猫舌なのに湯豆腐が好きというところが面白いんだけど。
「あーら、征ちゃん達、食べないの? アタシが全部もらっていくわよ」
「いや、オレが……ううん、オレ達が猫舌なのは玲央も知ってるだろう」
「まぁねぇ。だから、揶揄ってあげた訳。うふっ。征ちゃん達を揶揄えるのって、こんな時しかないもんだから」
 玲央サンは、怖いもの知らずなんじゃないかなぁ……。オレもだいぶ赤司達には慣れてきたけど、やっぱり玲央サンのようにはいかない。
 一日の長だなぁ……。
 玲央サンの方が一年先輩だって言ってたし、一年でも長く生きてると、それだけ度胸もつくんだなぁ。オレも玲央サンみたいに赤司達を揶揄って遊んでみたいよ。
 ――返り討ちに遭うのがオチだろうけどさ。
「征一郎クン、木原サンとどんな話してた訳?」
「玲央の父さんも知らない話だ」
 ようやく熱いのがおさまったのか、征一郎は上品に食べる。豆腐を飲み込んでから喋った。
「そっかぁ……でも、いずれ話してくれるわよね」
「ああ。……そんな機会が出来るといいな……玲央は頼りになるから」
「ま。征一郎クンたら、口が上手いこと。こっちが征一郎クンなのよね。オッドアイって言うことは知ってるから」

後書き
皆で湯豆腐を囲むシーンはやっぱり書いてて楽しかったなぁ。
玲央姉も書けたし、しゃーわせ♪
2020.12.09

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