ドアを開けると赤司様がいました 191

「征十郎。今日は湯豆腐にするよ」
「豆腐あったっけ?」
 征十郎が訊く。
「買って来るよ」
 実は、この近くに滅法旨い豆腐屋さんがある。赤司達もオレも、大好きな豆腐屋だ。昔ながらの製法で作られている。しかも安い。――ご都合主義? そんな野暮なこと言っちゃいけないぜ。
「実渕さ……玲央サンも食べますか?」
 と、オレ。
「あら、アタシにもご馳走してくれるの?」
「ついでですから。豆腐屋も近くにあるところですし」
「ついで……ね。いいわ。ついででも。征ちゃん達が食べる湯豆腐、アタシも食べてみたいもの。あのグルメの征ちゃんが満足する湯豆腐を」
「じゃ、買い物に行って来ます」
「光樹一人じゃ心配だ。オレも行こう」
「征ちゃん……それはちょっと過保護というものではないかしら? アタシ、征ちゃんに聞きたいことがあるんだけど――光ちゃんには席を外してもらった方がいいと思うの。正直言って」
 ほんと、ズバズバ言うなぁ、玲央サン……。
「何か聞きたいことでもあるんですか? 玲央さん。光樹は受難体質だから……」
 征十郎は玲央サンに対して丁寧語になった。
「征ちゃん……アナタが聞いた矢沢サンや木原サンの話を私も聞きたいのよ……」
「だったら征一郎の方が詳しいですよ」
「そうねぇ、噂の、もう一人の征ちゃんにも会いたいわね」
「じゃあ、オレも光樹と……」
「待ちなさい。征ちゃん。話はまだ終わってないのよ。アタシはね、征ちゃん。――気になることがあったらスッポンのように食いつくしつこい女なのよ。今までの付き合いでわかってると思うけど」
「――まぁ、仕方ない。光樹、メニューの変更を……」
 待て待て。征十郎が湯豆腐を諦めるなんてよっぽどだぞ。それぐらい、オレのことが心配なのか?
 ……まぁ、受難体質であることは認めるけれど。だから、赤司達に目をつけられたんだな。目をつけられたというか、惚れられたというか――。それは一方的なもんじゃないんだけど。
 オレだって、赤司達に憧れている。強くて、優しくて率直な赤司達に。
 ちょっとオレを甘やかすところがあるのが玉に瑕だけど。オレだって、見た目は頼りないかもしれないけど、あの相田カントクにみっちりしごかれた身だもんね。
 それから比べると、ここはぬるま湯的環境で正直ちょっと落ち着かない。オレってマゾなのかな。
 赤司達って、心を許した相手にはすごく優しいんだもんな。それは、黒子相手の時も例外ではない。玲央サンも、そんな赤司達のことが気に入っているのだろう。しかし、玲央サンが味方になってくれるとは意外だった。
 もともと、玲央サンとオレとは、バスケ以外に接点はないんだし。それが、赤司達のおかげで玲央サンとも仲良くなれそうだ。玲央サンもイイ男――いや、オネエだから……。
 ……オレは日向サン程、オネエに抵抗がある訳ではないし。――おっと、買い物買い物。
 財布を持って、行ってくるね、と言い置いて、オレはアパートを後にした。
 玲央サンがいるんだ。最低でも五丁は必要だろうな。それに、湯豆腐は赤司達の大好物でもあるんだし。いっぱい食べさせたいなぁ……。
 そうだ。今日の湯豆腐の代金はオレのバイト代で賄おう。この財布は征十郎のものだけど。
 でも、あいつらもなぁ……今日の豆腐の代金は誰が払うかで揉めそうだな。赤司達もいいヤツらだから……。優しい、ヤツらだから。本当は。だからこそ、ちょっと厄介なところもあるけど。
 街はもうすぐ夕映えに染まるだろう。オレは、目当ての店に来た。
「こんばんは」
「あら、降旗くん」
 ここのおばさんとも顔なじみなんだ。ご都合主義と言っては……もういいや。
 赤司達は、この時岡豆腐店の豆腐でないと満足しないんだ。
「お豆腐ください」
「あいよ。何丁だね?」
「そうだなぁ……六丁ください」
「あいよ」
 おばさんが豆腐をくれる。いい匂いのおからだ。おからも欲しいなぁ。でも、今日は湯豆腐だから。おからはまた今度にしよう。
 ああ、夕方の匂いだなぁ。まだ、時間的には少し間があるかもしれないけど。
 オレは街の中で深呼吸しながらそう思った。夕方の街は独特の香りがする。今日はあったかくて助かったなぁ。
 赤司達の影響で、オレもすっかり湯豆腐が好きになってしまった。……すっかりあいつらに染まってしまった。けれど、仕方がない。それだけの影響力をあいつら――赤司達は持っているのだから。
 黒子と火神も別の意味でまた、影響力の強い二人だけど。あの二人も、結婚してもバスケは続けるんだろうか。続けるんだろうな。絶対。
 おっしゃ! オレも、火神と黒子を応援しよう。火神と黒子は、誠凛の光と影だったんだから。勿論、黒子は影で。
 黒子は、自分が火神の影であることに誇りを持っている。そりゃ、青峰とは袂を分かったかもしんねぇけど。
「ただいまー」
「ああ、お帰り、光樹。……今、高校時代の思い出を玲央と話してたんだ」
「征ちゃんはお話上手でね。話題が尽きないわ」
「へぇ……そう……」
 何となく、妬ましい感情が沸き上がって来ないでもなかった。
「光樹も洛山の生徒だったらなぁ……」
「ああ、それムリ。だってオレ、誠凛の皆大好きだもん」
「こうだもんなぁ……」
 征十郎は、仕方ない、と言った口調だった。そして、溜息を吐く。だってさぁ、仕方ないだろ。誠凛の皆、面白いヤツらばかりだったもん。火神と黒子だけじゃない。女子高生のカントクはいるし、頼りになるセンパイはいるし――。
 それに、カワやフクと言った、オレの仲間もいる。いつもふざけ合っていた。
「あら、光ちゃんも昔を思い出してるの?」
「玲央サン……どうしてわかったの?」
「だって、ちょっと遠い目してたから」
 よく使う言葉だけど、遠い目って何だろう。……イッちゃってる目のことかな……。でも、オレはほんの少しの間だけ、想い出の中にトリップしてたもんなぁ……。
「あ、豆腐買って来たよ。用意するから」
「湯豆腐の用意だったらオレがするよ」
「征ちゃん。お客はアタシなのよ。歓待するのが筋ってもんじゃない? ――それに、アタシも光ちゃんの湯豆腐食べたいわ」
「あはは……」
 ――玲央サンに征十郎を取られてしまった。
 でも、仕方ないよね。オレだって、征十郎の立場だったら、客の相手してるだろうから。それに、湯豆腐の美味しい作り方は赤司達から習っているし。二人とも、好きなだけあって湯豆腐にはうるさいんだ。
 オレは豆腐と野菜と薬味のネギを切る。征十郎と玲央サンは楽しそうに話をする。――主に玲央サンが。
 聞く気はなくても、狭い部屋だから自然と聞こえて来る。根武谷サンと葉山サンも元気でいるらしい。良かった。征十郎も洛山のチームメイトとは割と連絡を取っていたらしい。最近はご無沙汰のようだったが。
「もうー、永ちゃんもこたちゃんも征ちゃんのこと気にしてるんだからね。元気だよの一言でもいいから、連絡してあげなさいよ」
「は、は……わかったよ。玲央……」
 征十郎はちょっとたじたじとなっているみたいだった。迫力負けしている征十郎なんて珍しい。
「でも、良かったと思うわ。征ちゃんが元気そうで。――もしかして、光ちゃんのおかげ?」
「――だろうな」
「まぁ。惚気てくれること。光ちゃんはどうなの? 征ちゃん達といて幸せ?」
 少し前だったら、答えにまようところ。だけど今は、「うん!」と自信を持って頷ける。
「オレも、光樹がいて幸せだ」
「征十郎……」
 オレ達は見つめ合う。ごほん、ごほんと咳の音がした。
「征ちゃん、光ちゃん。アタシがいること忘れないでね。アタシはそれは、哀しい哀しい独り身なんだから」
「玲央……」
 征十郎はちょっと困っている空気だった。でも、征十郎が幸せだと言ってくれたから、オレは嬉しい。例え、玲央サンが何と言おうと。
「昆布がないんだけど……おかかだったらあるから……」
 そういや、征一郎はどうしたんだろう。まだ家庭裁判所とやらにいるのかな。
「ねぇ、征十郎……征一郎から連絡あった?」
「いや、まだ来てないけど……あ、来た。噂をすればなんとやら、だな。あいつには、玲央と一緒にいること、話しておいたから。あいつも玲央と仲良かったからな」
「やぁだぁ。アタシの方から一方的に猛烈アタックしてただけよ。征ちゃんは二人とも可愛いもの」
「はは……。そういえば玲央。征一郎の出生については喋ったが、征一郎の存在についてはどこで嗅ぎつけた?」
「アタシの情報網を侮らないように。――と言っても、征ちゃんに双子の弟がいたと言う話は有名だもの。征ちゃんも自分が有名人だって自覚持ちなさい。征ちゃんは光ちゃんとは違うんだから」
 どういう意味っスか、玲央さん……。
「……光ちゃんも別の意味で有名だけどね。見事だったわ。あのダンクシュート。あれは征ちゃん達のおかげなんでしょ?」
「ええ、まぁ……」
 そう。だから、オレは、赤司達には感謝はしてる。バスケのスキルも見事に上がった。そっか。玲央さんも動画観てくれてたんだ。何となくほわっとした。――オレはつい、脂下がってしまっていたらしい。
「光樹。玲央は男だぞ。例えどんなに美形でもな」
「あらやだ。征ちゃん妬いてるの? でも、美形って征ちゃんに言ってもらえて嬉しいわ」
 ……藪蛇だったな。征十郎。
 オレがちょっとドヤ顔して見せると、征十郎は青くなった。――征一郎から電話がかかって来たので出る。征一郎は、今日は少し夜遅くなるみたいだった。しまったなぁ……今日は湯豆腐でない方が良かったかな……。

後書き
この家では、何かあるとすぐ湯豆腐なんだと思います。
しかし、やっぱりバスケに対する目もいいですね。玲央姉。
2020.11.28

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