ドアを開けると赤司様がいました 189

「ヤッホー、光ちゃん」
 実渕玲央サンが手を振った。この人と会うのは正月以来だ。オネエだけど、男前だし、美人だし――。きっとファンも多いと思う。
「征ちゃんから話を聞いてたの。待ってたわよ~」
「ああ、やっと来てくれたのか。光樹……」
 征十郎はいささかうんざりしているようだった。そんなに実渕サンのことがイヤだったのか……? それにしても、ここは料理の匂いがしてお腹が空いて来る。
 ぐ~っ。
 ――しまった。腹笛が鳴ってしまった。
「あら、光ちゃんお腹が空いてるの?」
「ええ、まぁ……」
 オレは、子供達から弁当を分けてもらっていた。だけど……いつの間にか腹減ってたんだなぁ……今日もいろいろあったからなぁ。ミニバスチームでの失敗とか、灰崎との話とか。
「何か頼んで。お金は私が払うから」
「実渕さんにそんなことまでさせてもらっては――」
「いいのよ。その代わり、本当のことを喋ってもらうわよ……」
 実渕サンが持ったフォークがぎらりと光った。
「だから……オレ達には何も秘密なんてないって……」
「嘘。私のパパはね、矢沢さんと親しいのよ。……矢沢のヤツ、何か隠してるって言ってたわ。うちのパパは嘘を見破るのが上手なの。あ、そうそう。光ちゃん。何注文する?」
 この店では、こっちが注文出来るのだ。一応な。
「ナポリタンが食べたいなぁ……」
「ナポリタンね。あ、ちょっと、ウェイター、ウェイター」
「ようこそ。当店へ」
「あら、イイ男じゃないの。征ちゃんの次に」
 実渕サンがこなをかける。ウィンクすると、注文を受け取ったウェイターは逃げるように去って行った。
「あら、どうしたのかしら。イイ男だって言ったのに。そう言えば、元秀徳の高尾ちゃんもイイ男だったわねぇ」
 ――オレは、初めて高尾を気の毒に思った。

「実渕さんには誤魔化し切れるとは思ってなかったけどな……」
「そうよー、女の勘は鋭い物よ」
 女の勘……。オレはせっかく食べたスパゲッティーを戻しそうになった。
「あら、光ちゃん、具合でも悪いの?」
「いえ……」
「実渕さん、せっかくだけど……オレは話を切り上げて早く帰りたい……」
「まぁ、そう……ついでに言うと、パパは木原サンとも仲良しよ。――征ちゃん。白状なさい」
「……だから、これについては機密事項なんだって」
「大丈夫よ。私、口が堅いから」
「それについては、認めるのにやぶさかではないが……」
 ショートケーキをつつきながら赤司は言う。
「ダメねぇ。征ちゃん。もっとお腹に溜まるもの食べなさいよ」
「じゃあ、クラムチャウダーを……」
「はぁい、クラムチャウダーひとつね」
 そう言って、実渕サンはパチンと指を鳴らした。――やがて、さっきとは違うウェイターがクラムチャウダーを持って飛んできた。
「どうしたの? 実渕サン……」
 オレは征十郎に囁く。征十郎は言った。
「実渕はオレの……いや、征一郎のことを疑っているんだよ」
「そうなの?」
「そうよ。ちょっと」
 実渕サンはちょいちょいと、こっちへ来て、というジェスチャーをした。
「アンタら……征一郎クンに偽の戸籍作ろうとしてない?」
 オレは目を瞠って、征十郎の方を見た。征十郎は大きな溜息を吐いた。――征十郎も大変だな。オレも……征十郎の為に何か弁護すべきだろうか……征一郎が家庭裁判所へ行ったことはもう実渕サンに伝えてあるから……。
「実渕サン……征一郎にはもともと戸籍はないの……れしゅ……」
 緊張で呂律が回らなくなったのは久しぶりだった。オレだって、赤司達のプレッシャーのおかげで強くなれたと思ったのに……。
「やはり実渕さんの目は誤魔化せない……か。バレるのは時間の問題だと思ってたよ。しかし、どこでそんな情報知ったんだ?」
「うちのパパが木原サンや矢沢サンと仲いいのよ」
 へぇー……世間は狭いもんだな……。
「ちょっとした時に木原サンだったかしら……矢沢サンがぽろっとうちのパパにもらしたらしいのよ。アタシがいない時に。すぐに何かごにょごにょ言って隠し通そうとしたみたいだけど。とにかく、アンタらのやっていることはルール違反よ。それが本当なら」
「仕方ないでしょう。征一郎には、戸籍がないんだから」
「だから、それがおかしいって言ってんのよ。この日本で生まれたんなら、必ず戸籍はあるはずよ」
「……光樹……」
 困ったように征十郎がこちらを見る。オレが征十郎の代わりに答えた。
「それは……征一郎が海外で生まれたから……」
「もう一人の征ちゃんが? 双子なのに?」
「…………」
 実渕サンは結構頭の回転が速い。オレは――何も言えなかった。
「さぁさぁ、征ちゃんも光ちゃんも吐いちゃいなさい」
 オレは二の句が継げなかった。お白洲でござるぞ――何か、そんな雰囲気だな。
「実渕さん……光樹が食べ終わったら家に来ないか?」
「まぁ、お誘い?」
「そんなんじゃない……征一郎のことはいつか実渕さんに話さなければいけないと思っていたんだ」
「――何だ」
 だが、特に気落ちしたようでもなく実渕サンが答えた。
「実渕サンの父親がお偉いさんであることはわかってたし――実渕さんは勘がいいしな」
「あらやだ。そんなに褒めてくれるなんて」
「これは、嘘ではないんだぞ……全く、手間のかかる……」
「あら、征ちゃん何か言った?」
「手間のかかるヤツらばかりで困るな、と思ったんだよ……」
 そう言って、征十郎は溜息を吐いた。征十郎も案外苦労人かもな――オレはどうも、そんな気がしてならなかった。実渕玲央サンと言う、無駄に聡い男――いや、オネエの人はいるし……。
 いや、あの時洛山を束ねていたのは征一郎か……征一郎も大変だったんんだな……。
「どしたの? 光ちゃん。顔色悪いわよ」
「……オレ、ちょっと征十郎達が大変さがわかったような気がして……」
「おお、わかってくれるか、光樹!」
 征十郎がオレの手をガシッと握った。実渕サンが小さく欠伸をした。
「そうねぇ……永ちゃんとかこたちゃんとか、チームメイトの面倒を見るのは大変だったようねぇ……洛山はくせ者揃いだったから」
 一番のくせ者はアンタです!
 ――オレはそう言いたかったが言えなかった。やっぱりまだまだオレはチワワメンタルなのだろうか。
「それは違うぞ。光樹」
 征十郎が耳元で囁く。そうか。征十郎にもわかったか。オレの言いたいこと。
「実渕には……オレも苦労した」
 やっぱり……。
「何よぉ……二人してごちゃごちゃ人前で内緒話して――アンタらがデキてるのは知ってたけど、独り者の私に見せつけないで欲しいわぁ。あーあ、征ちゃんは私も狙ってたのになぁ……こうなったら和ちゃんに鞍替えしようかしら」
 和ちゃんね……。
 多分、それは高尾のことだろう。高尾には緑間がいるというのに無駄なことを……。
「無駄だよ。実渕さん。高尾には緑間がいる」
 あ、征十郎のヤツ、オレと同じことを。
「あら。だからいいんじゃない。略奪愛って実は憧れてたの。征ちゃんから光ちゃんを取るのもいいんだけど」
 そして、実渕サンはバチンとウィンクをした。――げぇっ!
「実渕さん……光樹にはオレ達がいる」
 オレ『達』……オレじゃなく、オレ達……ということは、征一郎もオレの相手と認めているということか。
「あらやだ。重婚は法律違反よ」
「結婚も、この国では同性同士では出来ないんだがな……アメリカにでも行こうか、と、征一郎や光樹と話していたところだ。あそこはバスケも盛んだしな……それにしても、日本は不自由な国だよ」
 征十郎が、今度は実渕サンと顔を見合わせて、二人で大きな溜息を吐いた。実渕サンがこう言う。
「そうなの――わかったわよ。征一郎クンの戸籍が欲しいと言う訳が。……でも、征一郎クンの秘密については、ちゃんと喋ってもらうわよ。大丈夫。悪いようにはしないであげるから」

後書き
玲央姉だったら良い味方になってくれるでしょう。
でも、玲央姉……高尾クンにだって選ぶ権利というものが……失礼。
2020.11.14

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