ドアを開けると赤司様がいました 186

 人をくつろがせる香り、花の蜜のように上品で甘い味――。やっぱり征十郎の紅茶も最高だ。
「ありがとう。征十郎。アンタにも働かせてごめんな」
「いいんだよ。オレも……ちょっと話題変えたかったし」
 征十郎が言う。
「征十郎はもう学校の時間じゃねぇの?」
「まだ少しは余裕があるよ」
「それにしても、すげぇ美味しいよ、征十郎の紅茶!」
 オレのその言葉を聞いた征一郎がそっぽを向いた。征一郎にもガキっぽい――つうか、子供っぽいとこあんだな……あれぐらいで拗ねてしまうなんて。
 そう。征一郎は拗ねてんだ。
 オレは何だか、征一郎の弟気質が愛おしくなった。
「征一郎……オレは、アンタも好きだよ」
「――ふん……」
 ちょっと征一郎が可愛く思えて。オレは征一郎の頭を撫でた。征一郎はオレのするがままにさせておいてくれた。――ん? 今、征一郎がニヤリと笑ったような……気のせいか。
「そうだね。征一郎とは、好みも似ているからね」
 征十郎は目を細めた。そして、まだ飲んでいる途中だったらしい紅茶に口をつける。ふわ~、絵になるなぁ。征十郎のヤツ……。
 女子学生にはさぞかし見ているだけで目の保養だろう。オレだって――見つめてしまうもの。
「あんまりじろじろ見ないでくれ。……照れるじゃないか」
 オレの視線に気が付いた征十郎が照れたように笑った。征一郎が、今度は本格的に拗ねたらしく、また、「ふん」と鼻を鳴らした。
 一旦は征一郎に向いた気持ちが、征十郎の方に横滑りしてしまったもんなぁ……。
 征一郎が弟なら、征十郎は頼れる兄だ。
 そしてオレは――何だろう。
 恋人……じゃねぇよな。恋人同士みたいなこと、征十郎と一回か二回くらいしかしたことがないもんな……。思い出すと、かーっと身ぬちに血が巡る。落ち着け、落ち着け、オレ。
 全く、赤司達のこと言えないな。一番盛ってるのは俺じゃないか。
 取り合えず気持ちを静めよう。今日もミニバスのバイトがある。穢れを知らない子供達が沢山来る。
 オレは、子供達のきらきらした目を思い出した。
 良かった。オレの中心が萎えて来た。そういえば、この頃オナニーもしてなかったもんな。いろいろあったから――征一郎が消えかけそうになったり……。
「困ったな……」
 征十郎がぽりぽりとこめかみを掻く。
「何が?」とオレは訊いた。
「我慢していたつもりだったのに……光樹が朝からその……色っぽい顔をするから……」
 ええっ?! オレのせい?!
 でも、征十郎がオレに欲情するって、何となく嬉しい。前なら全然そんなこと考えなかったんだけど。
 あーあ、やっぱりオレも変態一直線か。高尾は緑間との交際を楽しんでいるようだがな。
 あ、やべ。もうこんな時間。
「征十郎に征一郎。話は後だ。オレ、行って来る」
「行ってらっしゃい」
「子供達に宜しくな」
 征十郎と征一郎が手を振る。
「征十郎、大学大丈夫?」
「ああ。そろそろ行かなきゃね。でも、まぁ、オレのことはオレに任せてくれないか」
 征十郎が答える。実は、オレも本当はもうちょっと時間が欲しかったところだ。
 おかしいな、オレ、おかしいよな。ああ、この火照った体を静めたい! オレは夢中で駆けて行った。
 ――バスケだ。
 バスケがあれば、オレはいつものオレに戻るんだ……。
「やあ、おはよう。降旗クン……」
「おはようございまーす!」
 小笠原コーチに皆まで言わせず、オレは更衣室に飛び込んでジャージに着替えた。リストバンドも勿論つける。
 ――どくん。
 リストバンドをつけた時……いや、見た時から、オレの胸は高鳴った。
 そう……時々、こんな風になるんだ。すげぇ美女を見た時のような……いや、それの十倍は刺激的だ。赤司達は男だと言うのに――。尤も、二人は言わないが、男に告白されたことも、一度や二度ではないらしい。
 あの顔だからなぁ……赤司達は。男にもモテるんだ。
 オレなんか、遊びだと言って捨てたって構わないのに、赤司達は今までそうしなかった。優し過ぎる程優しいヤツらなんだ。本当は。
「ねぇ、光樹兄ちゃん。ダンク見せて」
 そうか。キミ達の目当てはそれか――わかった。とっておきのダンクシュートを見せてやる。
 ――オレは張り切ってコートに向かった。……だが、結果は散々だった。

「どうしたの? 光樹兄ちゃん」
「降旗さん、降旗さんらしくないですよ」
 ……実は征十郎に欲情されて――というか、オレも欲情してしまって、で、気もそぞろになってバスケに集中出来なかったとはこの綺麗な心の少年達には死んでも言えない。
「ん……ちょっと調子悪くてさ……」
「そうだな。不調の時は誰にだってあるよ」
 落ち着いた声が聞こえて来た。
 小笠原コーチ!
 この人も随分優しいんだ。それに、大人だし。――あ、そうだ。
「小笠原コーチは結婚してます?」
「してるけど、それが何か?」
 オレは黙って首を横に振った。やっぱり結婚してたんだ。小笠原コーチも良い人だから。
「小笠原コーチの奥さんは美人だよ」
「あのなぁ、谷村。そんなことはどうだっていいじゃないか……確かに美人だけどな」
 そして、皆、あははと笑った。ああ、アットホームな素敵な仕事場! でも、オレは早く調子を取り戻さないとな。子供達の為にも――己の為にも。
「ごめんな、皆。今度はもっと本気でやるから」
「ほんとだよ」
「体調が悪いなら無理しなくてもいいよ」
「いや……今なら何かやれそうな気がするから……」
 オレはボールを構える。周りが水底に沈んだように静謐に映る。オレは、今、集中している。――スイッチが入った。オレは今ならやれる。
 ダムダム、とドリブルをして――シュートを決めた。子供達が「わっ!」とはしゃいだ。今のはダンクではなかったけど。
 赤司――オレはオマエ達に少しでも近づけただろうか。
「鮮やか! お見事!」
「降旗光樹、完全復活!」
 ……いや、そこまで褒められると、少し照れるな……。オレは頭を掻いた。
「やっぱり光樹兄ちゃんはすごいや」
「えへ。……いや、もっと凄いヤツらはいるよ。オレは、そいつらのおかげでバスケが好きになったんだ」
「そうなんだー」
「見てみたいよねー。日本にもそんなにすごい選手がいるんだ」
「オレなんか足元にも及ばないよ」
 ――オレは言った。
「そういえば、光樹兄ちゃん、赤司さん達と暮らしてたんだっけね。赤司さん達って凄いんでしょ?」
「ああ、凄いよ」
「あのジャバウォックに勝っちゃったんだもんね。日本のバスケも大したもんだよ。あいつら、オレ達日本人のことを黄色いサルって言ってたもんな」
「おっ、昌はJabberwock知ってんのか」
「ジャバウォックを破ったヴォーパルソーズは有名な強さだもん。そのチームのキャプテンだったんだよね。赤司さんは」
「あっ、オレも知ってる。テレビで観たもん」
 オレも――オレは観客席で観ていた。木吉センパイはバスケがやりたくてうずうずしたと言っていた。あの頃は木吉センパイの足はまだ完治してなかったからな。木吉センパイは虹村サンにもアメリカで会ったみたい。
 ――手紙にそう書いてあったもんな。
 虹村サンのお父さんはアメリカの病院に入院してる。
 そういえば、虹村サンも灰崎も元気そうだな。ツィッターやLINEでよく話してるもん。
(オマエ――上手くなったな、チキショウ!)
 いつだったか、灰崎がそう書いて寄越した。オレはそれを褒め言葉と受け取った。
 だって、灰崎って本当はいいヤツだもん。虹村サンが灰崎の手綱を握っているし。
 すっかり調子を取り戻したオレは、子供達と楽しくバスケをプレイした。それは、オレは少しは手加減しようと思ったけれど、この大栄ミニバスチームの子供達も結構強い。将来の精鋭にもなりそうな子供達だ。

後書き
将来の精鋭――心強い限りです。
降旗クンは灰崎クンにも認められているといいな、という夢……ドリーム……。
2020.10.30

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