ドアを開けると赤司様がいました 183

 屋上にはきらきらしたシャンデリア。光ってる。
 腹減った……。
 こんなところでお腹とか鳴らしたら恥だよな……。でも、BGMと店内のいい匂い……内装まで綺麗じゃないか。ちりひとつ落ちていない。
 美味しそうな料理の匂いはするような気がするけど。
「光樹。緊張してるのかい? 大丈夫。料理が運ばれて来ればリラックスもするよ」
「そうだね――」
「ああ。今のキミはカチコチになっているじゃないか。――オレ達の席はあそこのようだぞ。そうだろう? 真木さん」
「はい、坊ちゃま」
 真木さんは振り向いて征十郎に笑顔で答える。
 テーブルクロスは清潔だった。そして、一輪の薔薇。
「さてと。オレ達はまだ二十歳未満だから飲酒は出来ないけれど、アペリティフはどうする?」
 それは任せるけれど、あまり高くないヤツにしろよ、とオレは征十郎に念を押しておく。それからはっとした。己の貧乏性が恨めしい……。
 思い切って「水!」と言えない勇気のなさも。
 ――やがて飲み物が運ばれて来た。甘い匂い。旨そう。
 だけど、やっぱり柄にもなく緊張してんのかな。オレ。そうだよな。フランス料理店なんて生まれて初めて来たんだから。
 オレはこんなお上品なところでなく、ファミリーレストランの方がいい。あっちの方が伸び伸び出来たような気がするし、オレはお子様味覚なんだ。そりゃ、真木さんだって悪い人ではなさそうな気はするけど。
「不満そうだね。光樹」
 征十郎が言う。
「うん……」
「ははは、正直だ。そう思うだろう? 征一郎」
「光樹。まだ強張っているようだね」
 征一郎の温かい声。あのおっかなかった男が、こんなに優しくなるなんて……。
「まぁ、そうかもな……こんな立派なレストランに通されるんだったら、もっと上等のスーツ着て来たかったな」
 尤も、そんなスーツないけどね。この服がオレの持ってる中で一番高いものだし。
「この店は昔から通ってて、オレ達はすっかり常連だから、気を使わなくていい。そのスーツも似合ってるよ」
 征十郎がオレのスーツ姿を褒めてくれた。それだけで、オレは嬉しい。
「良かった。光樹が笑ってくれた」
 征十郎はほっとしたようだった。心なしか、征一郎も。
「期せずして、デートになっちゃったね」
 笑みを浮かべながら、征十郎が冗談を言う。いや、或いは冗談ではないのかな。
「そうだね」
 オレは、征十郎の冗談に乗っかることにした。
「ふふ、変わったね、光樹」
「――そう?」
「うん。前は、こんな冗談に乗らなかった。それに、今はちょっと固くなってるけど、普段はよく笑うようになったよ。キミは。ウィンター・カップの時は、あんなに怯えていたのに……」
「ああ、それは……」
「またこいつもキミのことを脅したしね」
 征十郎が征一郎の方を指差す。
「何?! こいつとは僕のことか? 無礼な! ――今だったらしないぞ、征十郎。神かけてオマエと光樹は守るって誓ったんだ! だからもう、昔のことをほじくり返すのはやめてくれ!」
 気色ばむ征一郎に、征十郎が、あはは、と笑った。
「坊ちゃま。好物のエスカルゴは……」
 真木さんが優雅な物腰で征十郎に尋ねる。――は? エスカルゴって、何だ? 名前は聞いたことあるような気がするんだけど。
「ああ、頼んだよ」
「そちらの降旗さんと征一郎さんは?」
「僕もエスカルゴは大好物だよ」
「降旗さんは?」
「え、エスカルゴって、何?」
「かたつむりのことだよ」
 征十郎はこともなげに言った。か、かたつむり? かたつむりは飼ったことはあるけど、食ったことはなかったぜ……。あんな可愛らしい生き物を食べるなんて、フランス人は何と残酷なんだ!
 そして、二人の赤司も!
「征十郎に征一郎! あんな可愛い生き物を食べるの?! フランス人は!」
 オレは怒鳴る。征十郎は目を丸くしている。
「何を驚いているんだい。食用のかたつむりだよ」
「――旨いの?」
「真木さんや征一郎がさっき言ったこと、聞いてなかったのかい。――オレだって大好物さ」
 ふぅん、征十郎の好物でもあるのか。それにしても……。
 オレは、あのかたつむりのぬめっとした姿を思い出した。何となくなめくじに似ている。小さい頃は一生懸命飼ってたけど。あれを食うのか……。
「ああ、そうそう。あのエスカルゴはキミが考えているのと多分違うからな。リンゴマイマイという種類も食用に供されていたが、今では絶滅危惧種と聞くな。それから、エスカルゴはイタリアでも食べられる」
 征一郎が教えてくれた。へぇ、そうなんだ……。いろんなこと知ってんな、征一郎。
「ねぇ、真木さんは、何で赤司のことを坊ちゃまって呼ぶの?」
 オレはつい、自分から全然違う方向へと話題を変えてしまった。だって気になるし。
「真木さんは岡さんの前の、赤司家のシェフだったんだよ」
 征十郎が答える。
「なるほど。そうだったのか」
「『岡はもう使い物になってるかい?』と父によく訊くそうだ」
「仲いいんだね。岡さんの料理はとても美味しかったよ。母ちゃんや兄ちゃんにも食べさせたいくらい」
「オレは、光樹の焼き飯の方がいいなぁ。美味しい料理はすぐに飽きるよ。毎日でも食べたいと思うのは、光樹の焼き飯の方だね」
「そんなこと……」
 オレは頭をぽりぽり掻いた。でも一度くらいなら家族に食べさせてみたい。岡さんや真木さんの料理。
 岡さんのレパートリーには、エスカルゴはなかったみたいだけど……。忘れたのかな。
「岡さんはエスカルゴ作らなかったね」
「んー、他にもいっぱい作りたいものがあったんだろうね。でも、岡さんの作るエスカルゴ料理が食べたいなら、いつでも頼んであげるけど? まぁ、岡さんはエスカルゴは作るのも食べるのもあまり好きではなかったようだけどね。可哀想だとか言って」
 へぇ……オレとおんなじだ。
「別にいいです。真木さんが作ってくれるなら、それで」
 ――オレは、好奇心でいっぱいになっていた。エスカルゴ……かたつむりって、どんな味がするんだろう……。
 そりゃ、昔飼っていたかたつむり達に悪い気はしないでもないが。
「オレ、かたつむりには寄生虫がいるって、クラスメートに聞いてから飼うのをやめたんだ」
 オレは白状する。
「そうだね。でも、食用のかたつむりは養殖してあるから。ここのエスカルゴは美味しいよ。わざわざフランスから輸入してるんだ」
「……ふぅん」
 わざわざフランスからねぇ……こだわりの味ってヤツなんだろうか。高そうだけど、確かにそれだけに余計美味しいんだろうな。
 何だか生臭いイメージが付きまとうんだけど。なめくじに似てるから。
 征十郎はエスカルゴの中身をほじくり出す。
「はい、あーん」
 あーん、じゃねぇだろ。征十郎。お前、こんな性格だったか?
「狡いぞ。征十郎。僕がやろうとしてたのに……!」
 征一郎が歯噛みをする。こいつもこんな性格だったのか?
 ――えーい、ままよ。
 オレは征十郎の差し出したエスカルゴを食べた。――旨い。何だか貝みたいな味がする。そういや、何か感じがちょっと貝に似てる。
「どうだい?」
「ん……思ったより美味ひい……」
「それは良かった」
 征十郎も征十郎でほっとしたようだった。
「じゃあ、今度は僕の番だな」
 オレは口を開けたが、周りの視線に気が付いた。特に若い女の人の羨ましそうな目。赤司達はモテるからな。顔がいいから。それなのに、何だってオレにかまうんだろう。わからない。
 ……まぁ、仕方ないか。
 オレは征一郎の差し出すエスカルゴを食べた。一口目より抵抗はなかった。
 兄ちゃんはどこかでエスカルゴを食べたことがあるかもしれないが、父ちゃんや母ちゃんは、かたつむりを食べるなんて、知識としては知っているかもしれないけれど、びっくりするだろう。
 母ちゃんもかたつむりは好きだったからなぁ。食べないけど。
 赤司達といると、ほんと、いろんな経験させられるなぁ……。

後書き
私も今は亡き大叔母や家族とホテルのレストランで食事する時は緊張しました。
でも、フランス料理店で「あーん」やるなよ、赤司様……。
2020.10.03

BACK/HOME