ドアを開けると赤司様がいました 169

「え? それってどういう――」
 すると、征十郎のヴァイオレットの香りが濃くなった。何だろうと思っていると、オレの前に回り込んだ征十郎にキスされた。――今度は唇に。征十郎の唇は柔らかくて少し冷たい。それが気持ちいい。
「な、何だよ――」
「オレが言ってることは全部本当のことだよ。キミは――そうだな、本当は征一郎にも渡したくないんだけど、彼はオレ自身だからね。光樹。キミはどう思う? まぁ、YES以外許さないけどね」
 うわー、こわっ! オレはその場に固まってしまった。
「でも……そうだな。キミにも考える時間は必要か」
「『はい』以外は許さないんじゃなかったの?」
「それはオレの願望だよ」
 そう言って征十郎はくすっと笑った。
「いい匂いするね。光樹。キミは――思わず食べたくなりそうになったよ。今はそれどころじゃないから我慢はするけどね。でも、おあずけって男には結構辛いものなんだよ」
 ああ、それは――オレも男だからわかります。
 でも、今は征一郎がいるから……だから、征十郎も手を出せないんだろうな。
 オレは……征十郎に抱かれても別段文句はないいけれど……。
 ――って、何考えてんだ? オレ。征一郎に失礼だとかは思わないのか?
 でも、征一郎だって征十郎だって、オレなんかよりもっと自分にふさわしい相手を見つけるだろうし。オレがいなくなっても――。
 征一郎だって、もう消える心配はないのだから、オレは、征一郎の前途を祝福しよう。
 恋は……仕方ないさ。オレが赤司達に似合う相手を探してもいいんだし。女友達なんてそんなにいないけど、カントクに協力してもらえば何とか――。黄瀬と言うモデルの友人もいるし。
 赤司達は、オレには持ちつけないダイアモンドさ。
「光樹――?」
「わっ!」
「おやつ食べないかい?」
「う、うん、そうだね。食べる……」
「ホットケーキだよ。キミが大好きな――ね?」
 征十郎はもう、オレの好みを把握している。征十郎は、オレがいなくてもやっていけるだろうけど、オレはどうなるだろう……。赤司達と別れて、昔のことがセピアに色褪せても、それでも平気と言えるだろうか。
 ――言えないね。きっと。
「何か、考えごとしてたようだけど?」
 う……征十郎は鋭い。征一郎と違う意味で、こいつに隠しごとは出来ないな、と思った。
「将来のことを考えていたんだよ」
 嘘じゃないもんね。
「それにしては浮かない顔してたけどね」
 ダメだ。征十郎にも天帝の眼があるんだった。――もう降参だ。
「……じゃあ言うよ。オレ達このままでいいのかなぁって、考えてたんだ」
「何言ってるんだ。このままでいいさ」
 征十郎が熱を入れて喋った。
「オレも征一郎も、光樹がいて毎日が楽しいよ。光樹だってそうだと思ってたのに――じゃあさ、お前、オレ達が嫌いになったのかい? じゃなかったらいいじゃないか、このままでも!」
 征十郎が、はぁ、はぁと肩で息をする。
「アメリカに行っても――オレ達の関係は変わらないよ……」
 それは、事実と言うより、征十郎がそう信じたいように思えた。それは、オレだってそう思いたい。だけど――。
 物凄く素晴らしい女性が現れたら、征十郎も征一郎も、オレのことなど忘れてしまうだろう。――男とはそういう生き物だ。オレのことなど、ただの一片の思い出にしかならないだろう。
 征十郎も征一郎も、狩る側の人間だ。オレは、征十郎も征一郎も抱けやしない。抱きたいと思っても、相手がそれを拒否するだろう。
 だけど……オレはこんな生活がだんだん快適になって来つつある。それは多分、オレは狩る側の人間ではないと言うことなのだろう。オレの男性としてのプライドなど、征十郎に抱かれたら粉みじんになるような、ちゃちなものさ。
 でも、オレだって男なんだ。捨てないでって、征十郎にしがみつくようなことなどしたくない。
 赤司達がそれぞれ相手を見つけたら……オレは笑って祝福して、「幸せにな」と送り出してやろう。そして……その日の夜だけちょっと泣こう。
 それがオレが――赤司達にしてやれる最大の祈りさ。
 取り敢えず、今は――。
「何? 征十郎、ホットケーキ作ってくれんの?」
「おやすい御用さ」
「オレの好みのメーカーのホットケーキの素知ってる?」
「キミのことなら何だって知ってるよ」
 そうなんだよな。――それでオレも、赤司達のことは大抵知ってる……かな。知ってる部分もあるけど、謎な部分の方が多い。どうせオレには天帝の眼はねぇよ。
 けど、何でかな。こういうの、心地いい敗北感てのかな。
 赤司達に負けていることが、オレは嬉しい。赤司達にはずっと勝利の申し子であって欲しい。オレは我儘なんだろうか? 高校時代に黒子達に負けたことを、赤司は糧としている。
 それとも……オレってマゾ?
 マゾともちょっと違うか。赤司達が優秀なのが、オレには嬉しい。赤司達はオレの憧れだから。
 やがて、パンケーキの焼けるいい匂いが漂ってきた。
「メイプルシロップあるよ。バターもつけたから」
「ありがとう」
 オレは有り難くいただく。旨い旨い。
「旨いよ、征十郎。ありがとう」
「ああ。オレも、光樹の食べっぷりが気持ちいいよ。まだ若いからだね」
「征十郎の分は?」
「オレは別に――」
「だーめ。……今度はオレに作らせて。お礼として。……材料まだある?」
「ホットケーキミックスはまだあるけど……」
「じゃあ、作ってくる」
 その時、征十郎がふわりと笑った。
「光樹の手作りか。いいね。――征一郎には妬かれるかもしれないけれど。征一郎もきっと、キミの作るホットケーキを食べたいと言うだろうよ」
 ホットケーキなんて簡単だし、お金だってそんなにかからないのに……。征十郎は高いお菓子なんてきっと食べ慣れているはず。……材料が高い物は高いだけのことはあって、頑張って作った安物料理よりも旨いのだ。それは仕方がない。
 でも、オレは、一生懸命作るだけ……。
 オレの作ったホットケーキも、征十郎は嬉しそうに食べてくれた。
「旨いよ。光樹の作ったホットケーキ。ほっぺた落ちそうだよ」
 自分の方がもっと上手く料理作れるって言ってたくせに……あれは征一郎だっけか。……もう記憶が曖昧だし……まぁいいか。
 征十郎がゆっくり味わっている頃、オレはボールをいじっていた。
「もうすぐ夕飯の時間だけど、オレが作ろうか?」
 ――と、征十郎は言ってくれた。
 まだホットケーキ食ったばかりだけど、まだ成長期のオレらはお腹が減る。でも……。
「征一郎が来るまで待ってようよ」
「光樹。お前も征一郎を待っててくれるとはね……でも、征一郎の分も作っておくから」
「うん」
 オレはボールをぽん、と放り投げて、自分で受け取ると、指でボールを回し始めた。
「前よりもっと上達したじゃないか。ボール回し」
「あ……うん……えへへ……」
 征十郎に褒められると照れてしまうよ。征一郎にもだけど。
「炊事ならオレも手伝うから」
「ほんとかい? あ、でもわかめと豆腐の味噌汁はノーサンキューだからね」
 ――ちっ、読まれてたか……。
「あ、でも、冷蔵庫もう残り少なくなってるな……残り物でもいいかい?」
「充分だよ!」
 征十郎や征一郎の料理の腕は、確かに一流シェフ顔負けで、安い素材でもそれなりに美味しいもの作るんだけど……。やっぱりオレは料理の腕も赤司達には敵わない。だから、彼らがいて良かったと思う。
 神様……ありがとう。
 オレを征十郎や征一郎に引き合わせてくれて、ありがとう。そう心の中で神様に例を言っていると、例のクロコ(一応神様)とカガミの姿が思い出されて、オレは吹き出してしまった。
「何か楽しいことでもあったのかい? 光樹」
「いやぁ、別に……」
 でも、征十郎との料理は確かに楽しいには違いない。征十郎はいっぱい主婦の小ネタを知っていて、それが面白くて、「へぇっ!」と驚くのだが。征十郎に言わせれば、内緒で研究して来たから、と言うことらしい。
 赤司は二人とも完璧主義者だ。
 だから、洛山でも今の大学でも重要なポジションにつけたんだろうけど。結果は絶対出す男だから。
 でも、オレだって――。
 オレだって、完璧主義者には程遠いけど、結果は残したい。カントクも褒めてくれたし。
(降旗君はやる時にはやる男よ!)
 カントクの言葉を思い起こしながら、オレはジャガイモの皮を剥く。今日は残り物の整理だ。

後書き
ホットケーキが食べたくなって来ました。ホットケーキを作る話を読んでたら。
じゃがいもの皮むき、ピーラーでなく包丁でやったら少しは器用になるかな。
2020.08.09

BACK/HOME