ドアを開けると赤司様がいました 156

「何だい、征十郎――今、オマエのことを話してたんだ」
 征一郎が説明する。征十郎がオレ達の近くに座った。――あ、征十郎から入浴剤の香りがする。
「征十郎、入浴剤風呂に入れた?」
 オレはつまらない、どうしようもないことを聞く。バスケを離れたオレは、チワワメンタルのただの平凡な学生だ。気の強さは黒子にすら敵わないけれど、自分ではちょっと向こうっ気の強い方だとは思っている。
 チワワメンタルなのは、その向こうっ気の強さを発揮する場がないからで――。
 征十郎や……或いは征一郎がいれば、全ては解決した。……今までは。
 でも、オレは有山に勝負を挑む胆力も現れて来た。バスケがあれば……オレはもっともっと強くなれる。
 多分、征一郎もそうだと思うけど、彼には肉体的な制約があるそうだからなぁ……。それでも甦って来たのは――バスケをする為。オレ達と一緒に活躍する為。
「入浴剤なら入れたよ、光樹。さてと――それよりもこれからどうしようか……」
 征十郎が言った。確かに今のままではどうしようもない。
 征一郎にはまず、戸籍の問題もある。それから学校のことも――征一郎だったらT大だって入れるかもな。征十郎が入れたんだから。元は同一人物の征一郎も入れるだろう。
 でも、にっちもさっちも行かないことが多過ぎる……。
「オレはね……留学しようと思うんだ。T大辞めて」
 ――何ですと?!
 オレの目はさぞかし驚きで丸くなっていたことだろう。
 だって……T大だよ。国内最難関校と言われてる大学だよ! そこを卒業したらエリート中のエリートだよ!
 それを――弁護士としての将来を征十郎はフイにしてしまう訳?
「征十郎……夢はどうしたんだよ。ほら、弁護士になるって言ってたじゃん」
「ああ、あれね……あれは、昔の父が就かせたかった職業だからね。今だったら父も――わかってくれると思う」
 そんな簡単に決めてしまっていいのかよ。重大なことだぞ。
「もう少し――様子を見てからでもいいんじゃないか? 性急に判断するんじゃなくさ」
 征十郎は目を瞠り、そして言った。
「そうだな。光樹の言う通りだ」
「僕もそう思う」
 征一郎も同意してくれた。だけど、征一郎はこの世に留まるのは辛いのではないだろうか。征一郎は早くバスケの選手になった方がいいんじゃないだろうか。
 ――征一郎には多分、時間がないんだから。数々の問題は、オレらの力で何とか乗り越えることにして。
 ああ、でも、神様とやらの許しが出れば生きていくことは出来るのかな? バスケをすることもね。でも、バスケをしていない征十郎や征一郎なんて、ただ息をして、生命活動を維持しているだけだ。食べる、寝る――最低限のことをして生きているだけだ。
「けれど、僕も留学のことは考えていた」
 征一郎が続ける。
「僕は多分、長いことはないから――でも、神様に掛け合ってみる。僕はまだ僕の人生を諦めたくない!」
 征一郎のオッドアイがぎらりと光る。
 ブラヴォー! 征一郎!
 今までならば怖がっていたところだが、征一郎の秘密を知った今、オレには彼が怖くなくなって来ている。
 ――彼も、悩める子羊の一人だったのだ。
 例え一緒にはいても、征十郎から離れて一人の人間として歩もうとしている征一郎のことはもう、応援するしかない。オレ達は一人のチームだが、互いに束縛することはいけないことだし、何より、オレ達は離れていてもひとつだ。
 ――征十郎の受け売りだけどね。
 だから、征一郎のことは心配だけど、心のどこかで何とかなると思ってるんだ。何とかならなくたって――努力したことは無駄ではないだろう。
 オレも、征十郎と征一郎を支えたい。
 オレの座右の銘は縁の下の力持ち、だもん。
 そりゃ、オレは力自体は非力だけどさ。でも、高校時代、カントクにはいっぱいしごかれたからね。少しは役に立てると思うよ。体はそうなまっていないはずだし。
「それでな、光樹……本当はキミもアメリカに連れて行きたかったんだが……キミは今の学校が好きなんだよな。友達もいるし」
 征十郎が言う。
「え……ちょっと待って待って、オレ……」
「だって、今の学校辞めたくないんだろ?」
「辞めないなんて言ってないじゃん!」
 オレは、つい立ち上がって怒鳴ってしまった。征十郎と征一郎が同じようなびっくりした顔でこっちを見ている。
「じゃあ、オレと一緒に行くのかい……征一郎もいるから、『オレ達』か」
「それは……いろいろちゃんとしてから……身の回りのこと、全部……」
「そうか、嬉しいよ! 光樹!」
 征十郎が目をきらきらさせながらオレの手を取った。
 何で、オレが今の学校を辞めて、アメリカに行く決意をすると、征十郎が喜ぶんだ。征一郎も何だかニヤニヤしているみたい。
「けど、有山とか、そう言う連中にもお別れ言って来なきゃ……親にも兄ちゃんにも話さないといけないし――」
「うんうん」
 征十郎は相好を崩している。
「征十郎だって、このままだとまだアメリカ行けないだろ? まず征臣サンに相談しないと……」
「うちの父だったら大丈夫だよ。『負けてはいけないよ』ぐらい言うかもしれないけど。それから――矢沢さんから連絡があったが、戸籍のことは何とかなりそうだと。今、そういう仕事をしている知人にかけあっているらしい。その人は市役所で働いているから」
 そっか……じゃあ、征一郎のことについては安心だな。
「征一郎の戸籍のことについては、矢沢さんや父さんに任せておけば心配いらないだろう」
 あ、征十郎と、考えていることかぶった。――征十郎がオレの心を読んだんでなければ、気が合うのだろう、オレ達。
 でも、大事なことだからな。戸籍のことは。ないとパスポートも取れやしない。
「良かったね。征一郎。これでアンタもパスポート取れるね」
 と、オレは言ってやった。
「うむむ……まぁ、戸籍がなくてもパスポートを取る方法は知ってるんだが――征十郎や父さんの顔を立てて、あくまで普通にパスポートを取得するか……」
 どうやったら戸籍もなしでパスポートを取れるか気にはなったが、オレは尋ねるのは辞めておいた。オレはあくまで一般ピープルなんだ。そんな裏技とか知りたくはない。
「……明日、父さんにオレ達の決心のこと、話すよ。T大中退は……一応は止められるかもしれないけれどね」
 征十郎も征十郎で大変なんだな……。
 オレも父ちゃん達に話を聞いてもらわないと……それに、アメリカでは英語力が必要だよな……。オレは、そんなに英語は苦手ではないけれど……。
「もし、僕がどうしても戸籍を取れなかったら仕方がない。征十郎と光樹で行っておいで」
「駄目だよ!」
 オレはつい力を入れて怒鳴ってしまった。
「オレ達は三位一体だろう?! 征一郎だけが外れるなんて、そんなこと許さないんだから!」
「ありがとう……僕も嬉しいぞ、光樹……」
 征一郎の目が潤んでいるような気がした。オレは当たり前のこと言っただけなんだけどな……。
「でもまぁ、さっき光樹が言った通り、まだ時間はあるんだからさ」
 征十郎が締めてくれた。オレも――いろいろ考えなくちゃならないし……そうだ。顧問の宮園先生には相談に乗ってもらおうかな。あと、大栄ミニバスの小笠原コーチにも。
 ……そんなに焦る必要はないのかもしれないけど。
 オレは、遠い将来に思いを馳せて、何だかふわふわするような、不安と期待が入り混じった、遠足の日を心待ちにしている子供のような気分で、眠りについた。

 ……オレは、何だか暗いところにいた。ここ、オレしかいないのか?
「征十郎! 征一郎! おーい……!」
 オレが呼ぶと、わさっと人影が動いた。
「わっ!」
「驚かないで、光樹。――征一郎もいる」
「やぁ」
 何だよ。脅かすなよ……暗がりでオレ一人かと心配になったじゃんか……。でも、この二人も何でこんなところにいるんだ。オレ達はいつものように、あのアパートの部屋で眠っていたはず……。
「な、何があったの?」
「それが、オレにもさっぱり……征一郎は何か知ってるみたいだけどな」
「――ここは、僕のふるさとなんだ」
 ということは天国ってこと?! 天国ってこんなに暗いのかぁ……イメージと違うな……。
「征一郎、天国って暗いんだね」
 オレがそう言うと征一郎がふふっと笑った――ような気がした。
「……天国の光景はその時によって違うからね。現世のように、固定されている訳じゃない」
 GBの無限城みたいなとこだな――。その時によって光景が違う、だなんて……。天国って、案外面白そうだな。今はまだ、行くのはごめん被るけど。
「もしもし、キミ達……」
 ん? 何かどっかで聞いたことあるようなこの声。
「こんにちは。降旗クン、赤司征十郎クン、征一郎クン」
 青い光がぼうっと現れた。そして、その中から頭に輪っかを乗せた人(?)と、それを釣り竿で持ち上げた大男が――。
「ボクは、神様です」
 神様……?! オレ、この人達に似てる人々よく知ってるんですけど……というか……。
「影うすっ……!」

後書き
身の回りのことをきちんとするのは大事ですね。
そして神様……ある人々に似ていると言うけれど……?
2020.06.19

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