ドアを開けると赤司様がいました 148

「やれやれ、やっと帰ってくれたか」
 征一郎は溜息を吐きながら言う。でも、その顔はどこか清々しそうで――。
「全く……僕達は聴聞僧じゃないんだけどな」
「聴聞僧って何だっけ?」
「――悩みや話を聞く僧のことだよ」
 征一郎が教えてくれた。やっぱり征一郎はいろんなことを知っている。隣で征十郎がにこにこ笑っていた。
 部屋の中にはアレックスさんの残り香がある。それは、女の人の匂いだ。――それも、とびきり上等の……。
「換気するか」
 征一郎ががらっと窓を開ける。――勿体ない。だが、それを言うと藪蛇になりそうなので黙っていた。風が冷たい……ような気がする。でも、そんな風も心地良かった。
「アレックスさんと氷室サン、上手く行くといいな。――この部屋は四人で暮らすにはちょっと狭いからな」
 征十郎は冗談とも本気ともつかぬことを言った。
 ――あ、そうだ。アレックスさんとも1on1やりたかったな。アレックスさんはバスケも上手いから。火神と氷室サンの師匠なだけあって。
 アレックスさんて、いくつなんだろう……。
「…………」
 何となく、それは訊いちゃいけないことのような気がする。オレは、アレックスさんがいる時に年齢のことを話題に出さなくて良かったと思った。
 アレックスさんはきっと、大人の女性なのだろう。それで終わりにしなきゃならない気もする。
「光樹。アレックスみたいな女は好きかい?」
 征一郎が尋ねる。うっかり下手な答えは出来ない。
「いい女だとは思うけど、それ以上の気持ちはないね」
「だろうな。僕もそう思った」
 へぇ……征一郎も男としての目でアレックスさんを見ていたんだ。何となく征一郎を眺めていると、彼と目が合った。
「案ずるな。光樹。僕には君しかいない」
 う……それはそれでまた何とも言いようのない気持ちが……。オレは元々はノンケだったんだから。――きっと、征一郎の基を作った征十郎だってそうだと思う。征一郎はオレへの思いで、この世界に現れたと言うけれど――。
 また消えてしまう。征一郎がそんなことになったら困る。
 征十郎が微笑みを浮かべながら言った。
「オレ達はアレックスさんの面倒も見なきゃならなくなるかもしれないし――当分は消えてられないよ。征一郎。きっとキミの助けも必要になるからね。オレ達には」
「そう! そうだよ! 今までだっていっぱい助けてもらったけど!」
 オレは力説した。征一郎がくすっと笑った。
「わかったよ。天に召されるまで、僕は征十郎や光樹と共にいる」
 征一郎の言葉。それは、オレ達にとって嬉しい誓いだった。
「征一郎……」
 オレは、自分がなんて自然に『征一郎』と呼べるようになったんだろうと吃驚していた。ちょっと前まであんなに噛み噛みだったのに。征十郎に対してもそうだ。――今でもたまに舌噛みそうになることもあるけど。
 征十郎が近づいて、オレの肩に手を置いた。
「態度が自然になって来たね。光樹。オレ達の存在に慣れたかな。だとしたらいいんだけど」
「ああ。赤司達には世話になっているから……」
「そんな他人行儀な。好きな人の世話を焼くのは当たり前のことだろう? オレ達は運命共同体なんだから。征一郎も含めてな。だから征一郎も、勝手にいなくなるんじゃないぞ」
「――わかってる」
 オレ達の間に、温かい空気が流れた。征十郎のおかげだ。征一郎にもカリスマはあるけど、リーダーシップを取るのに相応しいのは、征十郎の方かもしれない。征一郎は、勝負に負けない為に作られた、征十郎の弟のようなものだから。
 嗚呼、やっぱり二人は仲が良い。良かったなぁ……。征十郎が大人だからかもしれないけれど。
 征十郎は心配性で、今日もオレの心配をしてくれた。オレはちょっと恥ずかしかったけど――でも、やっぱり嬉しかった。
 いつか恩返ししてあげるね。征十郎。
「――光樹。いつだったか饅頭作ってくれただろう? 征一郎にも作ってあげてくれ」
 早速恩返しのチャンス!
「わかった。でも、材料がないと――」
「急がなくていいんだ。後、キミのお母さんのおはぎも食べたいな」
「ありがとう。母ちゃん喜ぶよ」
「僕達に好き嫌いはないぞ。――ワカメや紅生姜以外は」
 赤司達の嫌いなもの……わっかんねぇなぁ。紅生姜はともかく、ワカメは旨いじゃん。オレがスーパーでワカメを買おうと思っても、赤司達がそれとなく止めるからな……。ほんとに苦手なんだな。
 まぁ、好き嫌いは人それぞれだからな。
(真ちゃん、オレが納豆食うとキスもさせてくれないんよー)
 高尾もそうこぼしてたし。
 ま、オレにも嫌いなもんはあるし、赤司や緑間の気持ちもわかるんだけどね。それに、赤司達はオレの好物をいっぱい作ってくれるし。
 オムライスとか、カレーライスとか……。
 ……どうせお子様味覚だよ。オレは。でも、赤司の作るオムライスは、どちらもちょっと大人の味なんだよな。うん。味のレパートリーが広がったし、その点については、二人の赤司に感謝する。
 でも……赤司って意外と弱点あんだよな。猫舌だし。
 二人の赤司が時間をかけてふうふう味噌汁を吹いている時、オレは何気なく、
(オマエらって猫舌なの?)
 と、訊いたけど、二人とも必死になって否定していたなぁ。でも、あいつら、間違いなく猫舌だと思う。
 ――コーヒーはブラックで飲めるけど。オレは飲めない。お子様味覚だもん。
「あ、そうだ。お袋に電話してみるよ。おはぎ作ってくれるかどうか」
「頼む」
 征十郎と征一郎が同時に答える。あまりにもユニゾンに思えて、オレは笑い出した。二人の赤司も照れたようにお互いの顔を見合わせる。
 ――なんか、不思議に穏やかな空気が流れた。
 二人の赤司。征十郎と征一郎。ぎすぎすした空気を醸し出すこともあるし、二人は実は仲が良いのでは……?と思うこともある。
 今は……まぁ、平和だな。
「んじゃ、実家に電話かけるから」
 そう言って、オレは電話番号をプッシュする。――今時ダイヤル式の電話なんてないからね。FAX機能つきなんだけど、オレは滅多に使わない。
「あ、もしもし、母ちゃん――?」
 おはぎの話題を母ちゃんとしている時、征十郎と征一郎が仲良くバスケの雑誌を見ているところが見えた。
 嗚呼、兄弟っていいな……。
 オレにも兄ちゃんがいるけど。それに、征十郎と征一郎は、元々は同一人物だったけど。――征一郎が消えなければ、征十郎ともっと仲良くなれるのかもな……。
「今度遊びに行く時、おはぎを持って来ればいいのね。わかったわ」
 母ちゃんの声は弾んでいた。オレは電話を置く。
 さてと、これからどうしよう。課題でもやるかな。油断してると春休みなんてすぐ終わっちまう。オレは部屋に引っ込んだ。しばらくして、赤司達が入って来た。
「何してるんだい? 光樹」
「――勉強だよ」
「そうかい、偉いね」
 征十郎がオレの頭を撫で回す。子ども扱いするなってーの?
「お母様は元気だったかい?」
「あの人はいつも元気っスよ」
 征十郎が母ちゃんのことを気にかけてくれるのは嬉しい。母ちゃんもきっと喜んで、
「私はいつも元気よ」
 と、答えてくれるだろう。いつものようにニコニコ笑って。
「そうだな。……いずれ僕の義母になる人だからな。元気でいてくれないと困る」
 オレは、征一郎の言う、『僕の義母』というところは聞かなかったことにした。
「征十郎、光樹。いつか三人で結婚しよう。なに、日本の法律なんて、僕の力で変えてみせるさ」
「お前はバスケプレイヤーになるんじゃなかったのかい?」
 征一郎の言葉に征十郎がツッコむ。
「日本の首相でバスケプレイヤーだ。新しいだろう」
 征一郎が胸を張る。いや、征一郎、それ、無理あるから……。でも、消えるとか何とか言っているよりも余程彼らしい。オレはつい、くすっと笑ってしまった。
「何だい、光樹――あ、わからないところがあったら教えてあげるよ」
 征十郎が親切に声をかけてくれる。
「ありがとう。征十郎」
「僕も役に立つかな。僕も勉強中なんだけど――」
「征一郎もありがとう」
 征十郎も征一郎も、ほんと、何でオレにこんなに良くしてくれているのだろう。居候してるから――という理由だけではないだろう。大体、この部屋の家賃は赤司家が半分もっている。征臣サンが全額出すと言った時に、オレの両親が断ったそうなのだ。
「じゃあ、感謝の気持ちを形に表してくれるかい?」
「どうやって?」
「僕達にキスしてくれるかい?」
 征一郎は形の良い唇を指差した。窓からは夕陽が差していた。

後書き
征一郎……もしかしてアレックスさんに感化された?
征一郎が首相になったという姿も見てみたいです(笑)。
2020.05.26

BACK/HOME