ドアを開けると赤司様がいました 143

 ネオンサインがきらきら光る。自動車のヘッドライトが流れて行く。夜の匂い――夜の街だ。
「光樹。明日は僕もキミの大学に行くよ」
 征一郎が言った。
「え? どうして?」
「有山ってヤツに会ってみたい」
「会ってどうすんだよ……」
 オレは溜息を吐いた。
「大学でのチームメイトが、光樹を託すに相応しいかどうか確かめてみたい。……僕が、いついなくなってもいいように」
 そんな不必要に気にかけてくれなくても、オレは大丈夫なのにな。それとも、征一郎はオレが行っている大学に興味を持ったのだろうか。確かにスポーツでは有名な大学だけど。
 征一郎が征十郎と同じ才能を持ってるなら、もっと偏差値高い大学受けられるんじゃないか?
 それとも――本当に征一郎は消えてしまうのか? オレだって、別れの予感にさっき涙したじゃねぇか……。
 突然現れた存在は突然消える。
 そんなこと、考えたこともなかった――。いや、あったかもしれない。征一郎といるのが楽しくて、征十郎と暮らしているのも楽しくて――。
 だけど、それは永遠じゃない。
 わかってたはずなんだ。いつかは別れが来ることが。征一郎が消える……それは本当かもしれない。
 そんな時、オレだったらどうするだろう。
 ……きっと悲しいだろう。また泣いてしまうだろう。そして――空を見上げながら今日のことを思い出すだろう。
「アポイントメントを取ってみる」
 征一郎がスマホを取り出す。
「――待てよ。こんな時間にか?」
「……そうだな。確かにもう遅い。明日にしよう」
 征一郎が意外とすんなり諦めたので、オレはほっとした。征一郎がこの件に関しては忘れてくれますように。
 だって――征一郎が大学に来るなんて……過保護な親みたいで、オレは恥ずかしいんだよ……。有山も来るって言うし。
「オレも行っていいかな」
 ――征十郎?! 何言ってんだ! そんなこと言ってる間に……征一郎を止めろよ! オマエら元はといえば同一人物なんだろ?! 同じ根っこから分かれた存在なんだろ?!
 ……ちゃんと面倒見なきゃダメじゃねぇか……征十郎。征一郎の提案に乗ってどうすんだよ……。
 あ、そうだ。
「征十郎、自治会の仕事はどうした?」
 オレが訊くと、征十郎はさもおかしそうにくっくっと笑った。
「その辺に抜かりはないよ。――必要な仕事は今日中に終わらせた。だから、『明日は休んでいい』とちゃんと許可をもらって来たんだからね。大学の偉い人にね」
 大学の偉い人……。だが、オレはそれ以上追求しなかった。そんなに興味あることでもなし。
 それよりも、オレには話を聞いてくれる人が欲しかった。赤司達の他にも。
 兄ちゃん……。
 そうだ。兄ちゃんだ。今までほったらかしにして、ごめんね。オレが忙しかったからと言うのもあるけど。兄ちゃんからだって電話は来なかったし。
 兄ちゃんも元気でやってるかな……。
 オレは、食事をしたら兄ちゃんに電話することにした。少しだけでも、声が聴きたくなった。兄ちゃんは疲れているかもしれないけど、そしたら早めに切り上げよう。
「もう気持ちは切り替わったかい? 光樹」
 征一郎が笑顔で言う。征一郎だって、自分が消えるかもしれないと言う思いに囚われて大変だと言うのに、オレのことまで気遣ってくれて――。
 オレは……こんな優しい征一郎をどうして怖いと思ってたんだろう。今でもまだ、たまに怖いことがあるけどさ。
「帰って飯食ったら、兄ちゃんに電話するんだ」
「お兄さんにくれぐれも宜しくな」
 征一郎がオレの肩を抱く。さり気なく、征十郎がオレの体を自分の方に引き寄せる。
「お兄さんにもいずれ会いたいな。――オレは、大事な弟を傷物にしたかもしれないけれど、その分、責任はきっちり取らせてもらうよ」
「征十郎……」
「僕も光樹と結婚したいけど、それじゃ重婚になってしまうな」
 まーたまた。征一郎も冗談上手いんだから……。
「オレ達と一緒に、光樹がまだここにいるんだから征一郎――お前にはまだ消える必然性はないだろう?」
 ――ああ、そういうことか!
「そうだよ! まだここにいなよ、征一郎! 急いでここから消えなくても……オレ達にはまだ、オマエが必要なんだ!」
 オレが力説すると、征一郎はふっと笑った。
「そうだな……それに、思い残したことはまだ沢山ある。第一、僕はまだ光樹と共寝をしていない」
 征一郎の言葉にオレは、思わず唾を吹き出してしまった。
「何だい、光樹。汚い……」
 征一郎がイヤそうに顔をしかめた。いや。いやいやいや。征一郎。それ、アンタのせいだから。
「だいぶ調子が戻って来たな。征一郎」
 征十郎が嬉しそうだ……まぁ、いいか……。
 醤油は征一郎が持ってくれている。オレが持とうかと言ったら断られたのだ。ほんと、征一郎は意外と世話焼きなんだからな。まぁ、帝光でも洛山でも大学でも、重要なポストにいるし、人の世話を焼くのが大好きなんだろうな。
 その性格を利用しているみたいなオレは狡いんだけど……。
(今度は三人で花見でもしようね――)
 そんな話をしながらオレ達は歩いていた。別荘に行く話もした。オレは――やっぱりこれが幸せなんだと思った。気の合う仲間と生活出来る幸せ。
 今は……ドアを開けたらいつでも赤司達がいるんだから……。
 征一郎は絶対にあの世に渡しちゃいけない。少なくとも今は。だって、せっかくこの世に生まれて出て来た命なんだから――。

「ただいま」
 ああ、ストーブを焚かなくても暖かい部屋っていいなぁ……。でも、暗いから電気つけよっと。
「征一郎、光樹……醤油買ってくれてありがとう」
 征十郎はいつも通りその整った顔に笑みを浮かべている。だけど、だからこそ、本当は何を考えているか、さっぱりなんだよなぁ――。
 お礼は言ってくれて嬉しいんだけど、本当はもっと違うこと言いたかったんじゃないかなぁ……。例えば、征一郎のこととか。でも、そんなデリケートな問題に簡単に触れるような征十郎ではないよな。
「おや、メモがある。とっておこう」
 ああ、征十郎が帰って来た時に読んでもらおうと思っていたメモか――。
「別に捨てたっていいんだけど……」
「いや、もらっておくよ」
 征十郎も征一郎も、意外と物持ちがいい。そして、綺麗好きだ。メモなんかそんなもん、とっておかなくていいのに……。
「征十郎……オマエがそのメモをとっておくのは、光樹の書いたものだからだな」
「――決まってるじゃないか」
「そのメモを書いたのが僕だったら?」
「真っ先に捨てるね」
 征十郎と征一郎は、あははは、と一緒に笑った。何だか知らないが、二人とも楽しそうで良かったなぁ……。オレは目を細めた。
「今日は肉じゃがだよ。征十郎。光樹が好きだと言っていたヤツ」
 ああ、肉じゃがね……。この家に来た当初、征十郎は肉じゃがを知らないらしかった。肉じゃがを知らないヤツがいるなんて! ――と、オレは随分目を丸くしたよ。
 ん? でも、そしたら征一郎も肉じゃがを知らないのでは? それに、オレの好物って……。
「どこで知ったの? 征一郎。オレの好物が肉じゃがなんて」
「ん。僕はキミ達をずっと見てたからな。――光樹の好物はチェック済みさ」
「――ありがとう」
「ん? ストーカーみたいで怖いとは思わなかったかい?」
「ちっとも!」
「そうかい……でも、キミはもうちょっと身の周りのことに注意した方がいいよ。――心配なのは征一郎もオレも同じだよ」
 ――征十郎がオレの肩に手をかける。
「きっと、光樹は育った家が良かったんだろう。これは、うかうか消えてらんないな――僕がいる限り、光樹には誰も手を出せないようにするからね」
「う……うん」
 確かにオレの家はいい環境と言えば確かにそうだ。あ、そうだ。ご飯食べたら兄ちゃんに電話かけることにしてたんだっけ。でも、まずは美味しそうな匂いのするこの料理達をやっつけてしまおう。
「いただきます」
 三人でいろいろ話をしながら食べた。
「光樹……有山という男は、いい友達になれそうかい?」
 ごくんとご飯を飲み込んでから、征十郎が訪ねてくれた。
「うん。……オレの……勘なんだけど……」
「キミの勘はよく当たるからね……」
 征十郎もそこんところはわかってるんだ。チワワ男の処世術として、オレは日々勘を磨いている。そして、勘に頼って生きている。オレは――征十郎の言う通り勘はいい方だと思う。
「……肝心なところでは鈍いヤツだがな……」
 征一郎は呆れたように溜息を吐きながら呟く。……オレの勘が鈍いなんて、何を言い出すんだろう。征一郎は……。

後書き
降旗クン、悪いが、恋愛沙汰に関してはキミは鈍いよ……。
でも、鋭くなる時もあるからね。時々。
それから、降旗クンはもう少し、自分の身辺に対して気を配る必要があるかな。
2020.05.15

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