ドアを開けると赤司様がいました 142

「消えるって……どういうこと?」
 どっどっと、心臓の鼓動が速くなる。だって、思いもしなかった。突然現れた征一郎が、突然消えることもあるってことを――。
 ブーッと狭い道を車が走って行った。排気ガスの不快な臭いをまき散らして。
「――まだ、そうと決まった訳ではないんだが……」
 征一郎がまた呟く。
「……僕は、将来、消えるかもしれない。僕だって、消えるのは嫌なんだけど――こっちには友達も沢山いるし……黒子にも会いたいし……」
 そういえば、赤司達は黒子が好きだった。黒子はウスいくせに、人を惹きつける不思議な力がある。赤司達とおんなじで。似ていないようで似ている赤司達と黒子。惹かれ合うのも無理はないかもしれない。
「ここで、いっぱい思い出が出来たよ……征十郎に成りすまして大学のヤツらを騙したことや、青峰と徹夜で話し合ったこととか……馬鹿みたいだけど、それが凄く、楽しかったんだ……」
「……そうだね」
「それに、オマエとも沢山思い出作れたしな……もう悔いはない……」
 ――何だよ……今わの際の台詞みたいじゃねぇか。それ――。
「大丈夫。征一郎は消えないよ。……ほら、戸籍だって作れたじゃん」
 征一郎がくすっと笑ったような気がした。
「正確に言うとまだだけどな――これ以上未練が残らないうちに、僕は消えた方がいいかもしれない……」
「そんな……そんな悲しいこと、言うなよ……」
 オレの頬に涙が伝うのを感じた。握った手を解いた征一郎が綺麗なハンカチを取り出して、オレの頬を拭う。――征一郎のコロンの匂いがした。
「僕だって……消えたくはないさ……だけど、無理言って、ここへ――下界へと降り立つことが出来たんだ。今まで、いっぱい遊べて楽しかったよ。光樹」
 赤司は――今まで悪魔呼ばわりされることもあっただろう。オレだって、よく知らないうちは二人の赤司を悪魔だと思っていた。だけど――。
 今は、どちらも天使に見える。
 外見なんて関係ない。確かに赤司達は天使みたいに美しいけど――そうじゃない、中身も美しいんだ。
 赤司達を悪魔と蔑むヤツはこのオレが許さない。ひねり潰してやる。
 ――今日、有山に勝負を申し込めたのは、赤司達のおかげでもある。赤司達のプレッシャーをいつも感じていたら、大抵のことは平気だ。有山のことだって……前なら脅えていたかもしれないけど。
(いい? 降旗君。キミの武器は一見平凡に……ううん、弱そうに見えることなの)
 ぽくぽくと歩きながら、オレはカントクの言っていたことを思い出していた。
(だからね。――その見た目の平凡さを武器にしなさい。平凡にプレイして、平凡にシュートを決める。これは、赤司君や黒子君にも出来ない技だわ)
 ――カントクはいいこと言う。だからこそ、あの時――オレ達が初めて洛山とプレイした時、赤司のプレッシャーにも負けず、シュート出来たのだ。確かに平凡な型通りのシュートだったけど。
 でも、カントクのあの言葉があるからこそ、今がある。
 オレの平凡さは黒子にも真似は出来ない。それが、オレの自信に、いつの間にかなっていた。
 ほんと、皆、いろいろ個性があるからな。――だから、バスケは……いや、スポーツは面白い。
(私、スポーツなんてこの世にないといいなぁと思うんだ……)
 昔、智子とかいう人がそんなこと言ってたけど……それは間違ってるよ。スポーツはあった方がいいし、一緒に出来れば、きっと楽しい。――あの娘は超のつく運動音痴だったから、スポーツを恨むのもわかるけど……。
 そして、それをオレに打ち明けると言うことがどういうことかはよくわからないけれど……。
 オレは、征一郎と一緒に信号待ちに並んだ。
 やっぱ、ここはさっきの通りと違って交通量が半端ない。下手したら事故で死ぬな……。
「気をつけるんだよ。光樹」
「うん」
 手を引きながら、オレを気遣う征一郎。――ちょっと前なら反発してたかもしれない。けれど……。
 オレを心配するのが、実は赤司達にとってちょっと楽しいことみたいだとわかって来たから……。
「どうもね。征一郎」
 横断歩道を渡った後、オレは征一郎に対して笑いかけた。征一郎が俯いてこう囁くように言った。
「やっぱり、征十郎には渡したくないな――」
「……オレも、征一郎のこと、征十郎には渡したくないよ」
 だって、親友だもん。征十郎も親友だけど、征一郎と征十郎が仲良さそうにしてると――はっきり言って嫉妬してしまうんだ。オレ。
 兄ちゃんにもこんな想い、抱いたことはなかったはずなのに――。
 あ、でも、兄ちゃんと友達が仲良く遊んでいると、良かったなぁ、と思うと同時に、何となく胸がきゅうっと苦しくなった。なんか、考えてしまうと面白くなくなってしまって――。
 それに、オレはよく、兄ちゃんの友達にいじめられたからな。――それは、オレが子供で、兄ちゃんの真似をしてもどうしても出来ないということがあるから、密かに馬鹿にされてた、という理由もあるからかもしれないけど……。
 オレは、今は兄ちゃんにも、兄ちゃんの友達にも、バスケでは負けない。
 それに、オレは兄ちゃんに影響を与えたじゃないか。いずれ1on1しようね、兄ちゃん。

 醤油を買ったオレ達は店を出た。
「……光樹とのダンクの練習、楽しかったな」
 征一郎がぽつんと言った。
 あれは――もともと素地はあったのだ。オレだってダンクを決めてみたい。本気でダンクに臨んだのは最近だけど、その前から、冗談半分で練習はしていたのだから。――征一郎が現れる前から
(赤司ぃ……ダンクなんてオレには無理だよ……)
(そんなことないよ。キミは確実に上達している。それに、ダンクがなかなか出来なくても、練習するのはいつか必ず身になるから――キミだって、ダンクを決めた充実感を味わいたいだろう?)
(……うん)
 初めはネット、次にバックボード、そしてリング……。オレもサイトなどで研究した。それに……そうだ。前にまぐれでもダンクが出来たことがあったんだっけ。すっかり忘れてたよ。征十郎も忘れてたようだけど。
 ――征十郎にとっては些細な出来事だっただろうしな……。オレもあれは夢だったのかなぁとしばらくの間思ってたくらいだし……。
 征十郎がいたおかげで頑張れた。征一郎がいたおかげで最後の仕上げが出来た。
「オレも――楽しかったよ」
 オレはへらっと笑った。不夜城の東京。光がそこかしこにある。その中で、征一郎が微笑みながら頷いた。
 でも、征一郎は消えることもあるかもしれないと言った。こんなことで嘘をつく征一郎では多分ない。――オレは顔を引き締める。
「光樹! 征一郎!」
 オレは聞き慣れた声がしたので振り向いた。――征十郎だった。
「何してたんだい? こんなところで」
 征十郎は微笑んでいる。オレ達と偶然出会って嬉しかったのだろう。
「あ、醤油買いに――」
「本当?」
「ああ。他にも買いたい物はいっぱいあったんだが、光樹に止められたんだ」
 征一郎が説明する。
「だって、征一郎ってば、無駄金使いそうなんだもん」
 オレも止めるのに苦労した。
「光樹といるとインスピレーションが止まらないんだよ。――お金は僕が払うって言ってたのに……」
「オレは、必要最低限の物しか欲しくないって言ってるんだけどな」
 征十郎が軽く、ははっと笑った。
「光樹は金は大切にしなさいと、父さんの代わりに征一郎に教え込んでいるのさ。――ところで光樹。ちょっと思案顔に見えるんだけど……」
「うん、あのね……」
 オレは征一郎の方を向いた。征一郎は承諾のしるしだろう、頷いてみせてくれた。
「征一郎が……消えてしまうかもしれないんだ……」
 オレ、自分が改めて泣くかな、と思ったけど、涙は出なかった。――助かった。征十郎の目の前で泣いて、彼に心配をかけたくなかった。征十郎だって、征一郎が消えるという話を聞いたからショックだっただろう。
「そうか……」
 征十郎が顎に手をやった。そして続ける。
「突然オレ達の前に現れてきたんだから、突然消えてもおかしくはないな――」
「征十郎!」
「まぁ、聞け。光樹。オレだって……征一郎が消えたら寂しいと思うよ。悲しいとも思うかもしれないよ。でも――今はまだ征一郎はここにいる。征一郎がいる間、めいっぱい楽しもうじゃないか。オレ達だって、百年も経たずにこの世から消えてしまうんだから」
「征十郎――」
 何だかしんみりした話になってしまった。悲しい話題だよな……。
「僕も、征十郎に賛成だ。これからも、消えるまで宜しくな」
 そんな……征一郎、消えるまで、だなんて――。
 しかし、征十郎の言う通り、ここは皆でもっと楽しんだ方がいいかもしれない。取り敢えず話題変えなきゃ。
「今日ね、オレ、バスケで勝負を挑んだんだ。有山ってヤツに。そして――」
 オレが今日のことを喋ると、二人の赤司の眦が吊り上がった。どうしたってんだろう。あまり良くない兆候のような気がする。オレはおずおずと遠慮がちに、「どうしたの?」と訊いた。
「――その有山ってヤツが、光樹に惚れないとも限らないな」
「ああ、ライバルが増えそうだよ……」
 オレは、ぶっと噴き出してしまった。有山がオレに惚れるだって? あり得ないよ。あいつ、確かにちょっと変わったヤツだけど、ノーマルだと思うしさぁ――。
「オレ達の杞憂だったらいいんだけど――」
 征十郎がふと微笑んでこちらを見る。オレはドキッとした。
「けど、相手は光樹だからな……光樹は人たらしだから……」
 ムッ。誰が人たらしだよ。人たらしはどっちだい。少なくとも、オレは人を誘惑したことなんてない。――赤司達と違って。
 いいや。――赤司達だって自分が特に誘惑しているとは気づいていないのかもしれない。何でも出来て、どんな勝負にでもほぼ勝利して、女の子にきゃあきゃあ言われて――羨ましいけど、それって結構しんどいことでもあるんだよな。……オレは何そんな経験あるが如く考えているのだろう。

後書き
つい、泣いてしまった降旗クン。友達が消えるかもしれないというのは、本当に悲しいですよね。
と、そこに征十郎もやって来て……? 征十郎だって、征一郎がいなくなると悲しいよね、ほんと。
2020.05.12

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