ドアを開けると赤司様がいました 141

「何だよ、こいつ――!」
「もうやってらんねぇよ!」
 有山の仲間達がぞろぞろと逃げ出す。
「あ、こら、武井! 松田! どこへ行く!」
「有山、オレは降りる。てめぇは好きにやってろ!」
 武井が捨て台詞を吐いて、体育館を飛び出す。えーと……これは試合放棄と見做していいのかな……? オレは試合を続けてもいいけど……。ボールの感触が心地良かったし。
「あの、有山……」
 有山はオレの呼びかけには答えず、黙って更衣室に向かった。
「――そっとしておいてやれ。降旗」
 宮園先生が言った。
「でも……」
「男には一人で泣きたい時もあるもんだ。――さっきの気迫、見事だったよ」
「気迫……?」
 オレにはそんなものないと思ってた。でも……。橋田が後ろからタックルして来た。
「ぐべっ!」
「――何だよ。避けると思ったのに……はー、冷や汗かいた。オマエ、あの有山に喧嘩売るんだもんな」
「あ、あれは、喧嘩じゃなくて……」
「わかってるよ。決着つけようとしたんだろ?」
 橋田が転んだオレに抱き着いた。汗の匂いが飛ぶ。不思議とそれが不快じゃない。橋田がわしゃわしゃとオレの髪を乱す。
「さっきのオマエ、すっげー怖かったぜ。あー、良かった。もう普段の降旗だ」
「あのな……」
 でも、さっきのオレは、そんなに怖かったのか……? 何となくぼーっとしてた。
「全く……そんなところはオレの知ってるいつもの降旗なんだけどな……オマエ、有山にメンチ切っただろ。傍で見ていてぞっとしたぜ」
「そ、そうかな……?」
「降旗光樹……確かに主将の器だ……」
 宮園先生が呟いた。そんな大したモンじゃねぇよ。オレは……。皆の言う通りチワワメンタルかもしれないけどさ……。
(降旗君。あなたの武器は弱過ぎるように見えること。でも――弱いとは一言も言ってないからね)
 カントクの言葉が脳裏に鮮やかによみがえる。――オレの資質を見抜いたのもカントクだった。火神のようなスーパープレイも出来ない。黒子のような異常と言える程の影の薄さもない。オレの武器は――平凡さだ。
「オレは、平凡だから――」
 そう言うと、チームメイトが一斉にげたげたと笑い出した。
「降旗ー。お前は一見平凡だけど、どうしてどうして。さっきのオマエ、凄かったぞ」
「はぁ、どこがぁ?」
「有山のヤツ、ビビってたもんな……あ、出て来た」
 有山が普段着で出て来た。スポーツバッグを持って。……あいつ、ラフプレーとか多かったけど、バスケは上手かったな……。
「あー、でも、すっとした。春野のヤツもあいつに怪我させられたことあるし――降旗?」
 ――このままにしてはおけない。オレがこんなことするのは大きなお世話だと思うけど……あいつを止めなきゃ。オレは橋田達を残して駆け出した。
「降旗ー! あんなヤツほっとけよ! おーい!」
 橋田の声も振り切って、オレは有山のところへ向かった。有山が振り返り、皮肉気に唇を歪める。そんな顔をしたって、ハンサムで様になるんだ。こいつ。顔がいいって一種の武器だよな。
「何だよ。……オレを笑いに来たのか?」
「笑いだなんてそんな……試合はまだ終わってないよ」
「ふん。オマエの勝ちだよ。降旗――武井も松田もオマエの気迫に逃げ出したんだ……」
「それがよくわからないんだけど……」
「……わかんなくてもいいさ」
「じゃあさ、戻って試合の続きしようよ。――バスケ、楽しいよ。ラフプレーさえしなきゃ……オレ、アンタのこと嫌いじゃない」
「はん、何言って……」
「――逃げる気か?」
「……そうだ」
「今逃げたら――多分一生後悔するよ。キミだってバスケが好きで入部したんだろ?」
 有山はふるふると震えたが、やがて吐き捨てるように、
「そうだよ!」
 ――と、答えた。そして有山は続ける。
「今は一人にしといてくれ。――明日正午近く、きっと行ってやる」
 有山は手を振ってくれた。バイバイの意味なのだろう。――オレは相当にほっとした。
 ……ああ、赤司……もしオレの見立てが間違いでなければ……オレには新しいバスケ仲間が出来たよ……。

 今日もまた、遅くなってしまった。バスケしてると時間の流れるのが早い。
「ただいまー」
「お帰り」
 征一郎が出迎えてくれた。わぁ、今夜も凄いご馳走……いいのかな。征一郎、頑張って腕ふるってくれたんだな。なんか、すげぇ申し訳ない……。これからはまたオレも食事作るの手伝わなければ。
「征十郎は?」
「自治会の仕事で遅くなるって」
「ふぇ~、大変なんだ」
「光樹。僕達だけでも先に食べてしまおう」
「え? でも、征十郎が……」
「征十郎は先に食べててもいいと言っていたぞ」
「それでも……う~ん……征一郎がせっかく作ってくれたんだし……なんか、ごめんな、征一郎。夕飯、作ってもらって」
「構わないよ。どうせ家にいるんだからそのぐらいしかやることないし……バスケのトレーニングはしてるけどな。お前達に負けないように」
「征一郎……」
 オレはじーんとしてしまった。征十郎……もう一人のキミも確かに成長してるよ。もう、黒子の言う遊びで相手チームを嬲った赤司はいないんだな……。
「でも……征十郎のことも少しは待ってやろうか……そういえば、醤油切らしてたんだった。買い物行ってくるよ」
「オレが行くよ」
 だって、征一郎は料理で疲れてるんじゃないかな……。
「車で行ってもいいかい?」
「う……」
 あの悪目立ちする車じゃなぁ……。
「嘘だよ。僕達の車をオマエが好きじゃないのはわかってる。一緒に歩いて行こう。星空の下で――尤も、この辺じゃあまり星は見えないけどな。田舎では星空がよく見えたものだが。……いずれ征十郎と一緒にオマエを招待するよ。僕達の別荘に」
「ん……」
 別荘か……やはり赤司家は違うな……。でも、それも赤司達の魅力だもんな。金持ち故の余裕と育ちの良さ。
 前のオレだったら歯ぎしりして悔しがるところだけど、今はそんなところすら愛おしい。それに、金持ちっていいことばかりじゃねぇもんな。
 いつか、赤司達に別荘に招待してもらえるといいなぁ……。
「行くよ。光樹」
「あ、待って」
 オレはメモを残しておいた。
『征一郎と買い物行ってくる。心配しないで』
 心配しないで――というのは余計かな、と思ったが、征十郎って案外心配性だもんな……。
「お金は持ってる。じゃ、行くとするか」
 そうだね――と、オレは頷いて征一郎に頷きかける。鍵はきちんと閉める。外はやはり、あまり星が見えない。スモッグというヤツのせいかもしれない。
「僕と一緒なら征十郎も安心だろう……」
「そうだね」
「手、繋がないかい?」
「え? 恋人同士でもないのに変だよ……」
「でも、友達同士ではあるだろ? それとも、オマエはやはり征十郎の方が好きなのかい?」
「わかった、繋ぐよ」
 電灯の下で征一郎がふわっと笑った。こういう時は征十郎の表情と重なる。――もともと同じ顔だけどさ。
「恋人繋ぎ、とは言わないからな。どうせ、僕はもうすぐ退場となるんだ……」
 征一郎は、今度は寂しそうに呟いた。こんな弱気な征一郎、初めて見た。何があったのだろう。
「征一郎? 何か嫌なことでもあった?」
「何も……ただ、寂しいだけだ……」
 やっぱり寂しかったのか……。でも、征一郎には征十郎も征臣さんもいるし……オレもいるし……。まぁ、オレはいてもいなくても同じようなもんだけどな。――征一郎が凛とした声でこう言った。
「光樹……僕が消えたら、悲しんでくれるかい? 僕のこと、時々は思い出してくれるかい?」

後書き
有山クンとの勝負は、降旗クンの不戦勝?
そして、征一郎は本当に消えてしまうのでしょうか……私にもわかりません。
2020.05.10

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