ドアを開けると赤司様がいました 139

「さぁさぁ、大学へ行こう」
 征十郎がオレの背中を押す。何だってんだろう。
「征十郎……光樹が僕を構うのがそんなに面白くないのかい?」
「ああ。嬉しくはないね」
 ――ああ、もう、朝っぱらから喧嘩か? ほんとにこいつら、仲がいいんだか悪いんだか……。
「オレ、もう一杯紅茶飲みたいんだけど……」
 こう言う時は話を逸らすに限る。それに征十郎の熱くて甘い紅茶は、オレの心をほっとさせる。
「よし! わかった光樹! オレもまだ時間に余裕があるからな」
 良かった……征十郎の機嫌が治ったようだ。征一郎が「ちょろいヤツだ」と呟くのが聴こえたが、征十郎の耳には入っていなかったらしく、征十郎は楽しそうに紅茶を淹れる。
「いつかまたロシアンティーをキミ達に振舞ってあげよう……今日はダメだけど。ジャムを舐めながら飲む紅茶は格別だよ」
「うん。ロシアンティーは征十郎が淹れてくれたことがあるけど、美味しかったよね」
「ロシアンティーくらい、僕だって作れるさ……」
 征一郎がぶつぶつ言う。
「ぬるくなったから淹れ直すね」
 そう言って、征十郎がティーポットの中身を流す。ああ、勿体ない……。それに征十郎は(そして多分征一郎も)猫舌のくせに……。
「淹れ直している間、光樹は征一郎の相手でもしていてくれよ」
「征十郎、さっきは面白くなさそうにしていたが?」
「ああ、もう気分が変わったから。気分屋なんだ。オレは」
 征一郎の質問に征十郎があっさり答えた。
「キミにも美味しい紅茶淹れてあげるからね。征一郎……」
「あ、ああ……」
 征十郎は鼻歌を歌いながら水を入れたやかんに火を点けた。そして――また茶葉を出す。しばらくすると紅茶のいい匂いが漂ってきた。あ、この匂い、赤司達の匂いに似てるな。
 甘い魅惑の香り。赤司達は二人とも、何だか美味しそうだ。
 オレだって男なんだから、いつか二人を食べてしまうことも出来るけど……それをやったら逆襲が怖い。やっぱりオレは気の弱い男なんだ……。
 いや、真の意味で男と言えるのかどうかすらも……。
 自分の男性性にぐらつきを感じてオレの頭がぐるぐるしていると――。征十郎が紅茶を持ってやって来た。待ってました!
 オレは紅茶の香りと温かさを楽しみながら飲み干すと、大学へ行く準備をした。準備と言ったって、大抵のものはもう揃えたけど。
 征十郎も一緒に来た。満員電車の喧騒を味わいたいんだと言う。相変わらず物好きなヤツだよね。「光樹と一緒に!」とこの辺は特に強調してくれた。本当は不幸体質のオレが災難に遭わないか気がかりなんだろう。
 ――ありがとう、征十郎。

 電車の中――。オレは何だか落ち着かなかった。
 スマホで写真を撮る子もいて、それは別段いつも通りなんだけど……。
(ほら、あの人……)
(何? 赤司様?)
(ううん。赤司様の近くにいる人。動画で観たような気がする……)
(バスケ動画? アンタも好きなんだから……)
 二人の私服姿の女の子――多分高校生か大学生だと思う――が、オレ達の話をしていた。というか、オレの動画はアップされたけど――あんなヘボダンク、そんなに評価される訳ないよな……。
 オレが他人事のように考えていると――。
「あの……すみません……」
 動画でオレを知っていたらしい女の子が思い切って、という感じで声をかけて来た。
「あ、やっぱり! やだ! 動画より可愛い!」
「――え?」
 もしかしてオレのこと? だよなぁ……動画のこと言ってたし、征十郎は可愛いよりかっこいいという方だし……。
「えっと、お名前は……」
 名前……そうか。動画では名前まで公開してはいなかったはずだもんな。小笠原サン達も気を使ってくれたんだ……。
「キミ達、悪いけど、オレ達、今、プライベートだから……」
 赤司が言う。
「プライベートって、芸能人かよ!」
 ――オレはびしっとツッコんだ。女の子はくすくす笑った。
「やだ、面白ーい」
 そうかぁ……? そんな大したことは言ってないんだけど……。女の子の友達と思しき子が彼女の袖を引っ張る。もういい加減にしとこうよ、という合図なのだろう。――征十郎も表情は普段通りでもちょっと不機嫌そうだし。
 オレは赤司達みたいな天帝の眼は使えないが、その代わり、様子で何となく、今上機嫌か不機嫌かは、わかる。
 その時、電車が止まった。
「降りよう」
 赤司がオレの腕掴んで扉から出る。
 ええっ?! 目的地はまだ先だろ? 何でだよ――。
 でも、人がぞろぞろ蠢いているんでそれを征十郎に訊きただすことは出来なかった。ああ、人の群れ……酔いそうだ……オレはずっと東京育ちだったから人混みには慣れてるんだけど。
 ――ああ、そうか……。
 酔っているのは征十郎の匂いにだ。でも……征十郎からはいつも爽やかないい匂いがする。でも――。
「征十郎……何でオレをこんな駅に……?」
 ――やっと訊くことが出来た。征十郎が切なげに眉を顰めている。
「あんな女どもに……光樹を渡したくなかった……オレもまだまだ子供だな。――征一郎は独占欲強い方だと思ってたけど……オレも人のことは笑えないんだ。本当に。……こんなにムキになってしまうなんて、自分でも呆れてるよ」
 オレはちょっと首を傾げた。
 独占欲が強いって……あの子とオレ、ちょっと話しただけ――いや、話も出来なかったんだっけ。もしかして――。
 征十郎は焼きもちやいてくれたんだろうか……。でも、オレをまともに相手にしてくれる物好きな娘なんていないよね――。
「オレは……光樹から全てを奪いたかったんだ……」
「だから、何でだよ!」
「……キミが好きだからだよ!」
 征十郎が叫んだ。おい、ここ、駅の中――。狭い駅なので、皆見てる。
「トイレ行こう。征十郎」
「――そうだな……少し落ち着こう」
「それとも、何か飲む? 気分は落ち着くよ」
「オレはどっちだって構わないが――」
「じゃあ、自販機行こう。トイレもいいけど、ちょっと臭いかもしれないしね」
 オレは紅茶。征十郎は緑茶をそれぞれ自販機から出した。――あったかい。今年の春はちょっと寒いこともあるから……薄着してる方が悪いんだけど。
 ふう、美味しい……。征十郎は冷たい緑茶を買った。猫舌だもんなぁ。
「こうしていると何かデートみたいだよね。光樹」
「うん……」
 そういえば、何かデジャヴみたいな感覚を覚えるんだが。征一郎ともこんな風に駅の中で、デートした……。
 征一郎が駅でおはぎを食べたい、と言ってたんだっけ。この駅ではなかったけれど――。それも懐かしい。
「ところで……ここはどこの駅だろうね……」
「征十郎てば、知らないで降りたの?」
「電車を降りることしか頭になかったから――」
 何だ。征十郎も結構抜けてんな。オレはおかしくなって含み笑いをした。
「な……何故笑う。元はと言えばキミが悪いんだぞ。キミがあんまり魅力的だから……」
「……はぁ?!」
 いやいや。魅力的と言ったら征十郎の方だろう。――征一郎も。チートのくせに! 美形のくせに! くそっ! オレを嬲って遊ぶなよ!
「……あの女は絶対光樹に興味があったんだ……」
 ――征十郎は本気だったんだろう。オレは、絶対あの娘は征十郎に近づきたくて――それで、まずはオレの方に声をかけて来たのだろう――絶対そうとしか思えない!
 ここに征一郎がいたら何て言うだろうか……何だか、征一郎も他の人間にオレを取られまいとしてるようだけど……。
 いやいや。いい気になるな、オレ。征十郎はともかく、征一郎はあくまでオレのことは友達だと思ってるんだ。ちょっと行き過ぎな言動はあるけど。
 だって、征十郎の方は何考えてんだかわかんねぇもん。
 征十郎とは寝たこともあるし……オレ、征十郎が何でオレ相手にエレクト出来るのかわからなかった。誘ったのは確かにオレだし、オレが征十郎に欲情出来るのは当然のことだと思っていたけれど――。
 オレ、少しは赤司達に愛されてるって、自惚れてもいいのかなぁ。だけど、二人に、オマエを揶揄う為の冗談だったんだって笑われたら、立つ瀬がねぇよなぁ……。
「紅茶、一口くれるかい?」
「ん、どうぞ」
 オレは紅茶の缶を渡した。征十郎の喉ぼとけが動く。
「とても美味しいよ。――間接キスだね」
「え――?」
 オレはちょっと驚いた。征十郎がそんなこと考えてただなんて。征十郎からも緑茶を勧められたけど、オレは断わった。征十郎はちょっと寂しそうな顔をした。

後書き
間接キスネタって、ありがちだけど好きなんですよー。
征十郎さんもなかなか独占欲が激しいようで……前からだと思いますが(笑)。
2020.05.01

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