ドアを開けると赤司様がいました 133

 ――また電話が鳴った。青峰が誰か出ろぉ、と言った。征一郎が立ち上がろうとするのを征十郎が止めた。
「いい。オレが出る」
 電話の相手は……どうやら征十郎達の父親の赤司征臣サンからのようだった。征十郎の顔が真剣そのものになる。彼の顔はいつでも端正で、それがオレには羨ましかったのだが――。
「はい、はい――」
 どうやら重大な話らしい。――オレはやっぱり食事の後はコーヒーの味と香りを楽しみたかったのだが、どうやらそれどころでなさそうだ。これはチワワの勘。
「わかりました。どうも――」
 赤司が電話を切った。厳しい表情だった。
「今日は大学へは行けそうもない。――征一郎。父様が呼んでる。戸籍のことで話があるんだそうだ。訳はオレ達が来てから話すと――。それから光樹。キミも来てくれないか? 大学があるのに悪いんだけど」
「うーん……ちょっとバスケ部には顔を出したかったんだけど……」
「そこを何とか……」
 征十郎が下手に出ている。青峰は、
「行ってやれ。フリ。オレはもう帰っからよ」
 と言った。
「世話んなったな。おめーら。おかげで頭も冷えたぜ。親父と再び喧嘩したらまた来てやるよ。――そうだ。便所借りていいか? コーヒー飲むとしょんべんが近くてよ……」
 もう、青峰ったら……緊迫感の欠片もないんだから……。桃井サンも大変だな。
 桃井サンの苦労を推し量っている場合ではなかった。
「とにかく、青峰が帰ったらオレ達は赤司家に行こう」
 征十郎の言葉に征一郎は神妙な顔で頷いた。征一郎の戸籍のことなら、オレも行った方がいいのかな。一緒に住んでんだもんな。
 征十郎がショーファーを呼ぶ。タクシーでもいいんじゃないか、とオレは思ったが、金かかるもんな……。
「坊ちゃま」
 ショーファーの佐藤さんが来て、オレ達は車に乗る。
「ねぇ、征十郎。征臣サン、何て言ってた?」
「弁護士が来ると言ってた。征一郎のことはオレの双子の弟ということになってるって話したらしい」
「……まぁ、中らずと雖も遠からずだな」
 征一郎も呟くように口を挟んだ。
 車が朝の街を行く。オレはこっそり景色を楽しんだ。思ったより緑が多かった。
 そして――。
 車は止まった。オレ達は車から降りる。
 赤司家ではメイドや使用人達が出迎えてくれた。もう、気後れするより先に、早く征臣サンに会いたかった。オレもこの家に段々慣れて来たらしい。
「征十郎、征一郎」
 貫禄のある洋装の男性。――赤司征臣。
「父様、おはようございます」
「うむ。二人が元気でいたということは聞いている。元気なのは何よりだ。光樹君もよく来たね――実はもう弁護士が来ている」
「矢沢さんが――」
「ああ」
 弁護士の名前は矢沢さんて言うのか――。征十郎がそっと耳元で囁いた。甘い吐息で耳がくすぐったい。
「矢沢さんは我が家の顧問弁護士の名前なんだよ」
 赤司家にはそんなのもいるんだ……流石名家。
「こっちだ。さぁ入ってくれ」
 オレが室に入ると、フレームレスの眼鏡をかけた、笑顔の似合う三十代くらいの青年が立ち上がった。この人は――本当に弁護士なんだろうか。だって、弁護士とか言う人種なんてテレビでしか見ねぇもん。赤司――征十郎の方(?)――は弁護士を目指してたけど、要するに赤司は赤司だもんな。
「矢沢です。初めまして。ええと……君が降旗君だね?」
「はぁ……初めまして。降旗光樹れ――です」
 ――いけね。重大な場面でろれつが回らなくなりそうになった。こういう癖はなかなか治らないものだなぁ。相手には変に思われなかっただろうか。オレは矢沢サンにお辞儀をする。遠慮がちに思われたかもしれない。
「君のことは征臣さんから聞いているよ。茶髪で猫みたいな目で――雰囲気が明るいと。見た目よりしっかりしているともね」
 見た目よりしっかりしている、か。征臣サンには認めてもらえてるようで嬉しいなぁ……。
「征十郎君とはバスケで知り合ったんだっけ?」
「ええ、まぁ……」
 忘れもしないウィンター・カップのあの日。赤司征十郎と名乗った男は鋏で火神を攻撃しようとしたのだ。命知らずだ、と言うより――あれは緑間のラッキーアイテムだったんだ。何故剥き出しの鋏持ってたんだよ、緑間。
 ――あれで火神に何かあったらどうするつもりだったんだ……。火神が人間離れした反射神経で素早く避けたからいいようなものの……。
 ああ、そうだ。後、バスケと言えば。オレはまだ顧問の先生に「部活を休むかもしれない」と連絡をしていなかった。後で謝ろう。
 それよりも、征一郎の戸籍問題の方が大事だ。
「私にとって、矢沢は年の離れた親友だ。――何でも言っていいぞ」
 征臣サンは矢沢サンを買っているようだった。
「そうですね……」
 オレは少し戸惑っていた。生まれて初めて弁護士とか言う人に会ったんだもんな……。
「ところで、征一郎という存在はどこから現れて来たのかね?」
 矢沢サンが訊く。
「は……ええと、白い煙が立ち上って――気が付くと目の前に裸の征一郎が立っていたんです。当時は彼のことは僕司と呼んでいましたが。オレは彼に服を着せてやりました。征一郎の名付け親は光樹です」
 征十郎が説明する。オレは訊いた。
「そんなことまで話しても大丈夫なの?」
「矢沢さんが相手なら大丈夫だよ。それに、嘘はなしだとオレも思っているからね」
「征一郎君……どうして君は征十郎君の前に現れたんだい?」
「僕はずっと征十郎のことを見ていた。――天国から」
 征一郎が話し始めた。
「僕は一旦この世から消えた――この世から降りた存在なんだ。だけど、征十郎のことは気になってずっと見守っていた。そのうちに――光樹と愛を交わす征十郎が羨ましくなって来た。それに……段々光樹が可愛く思えるようになって来たから……」
「君から降旗君に近づこうと?」
 矢沢サンは紅茶を飲んでから話した。オレは、矢沢サンは凄い人だと思う。こんな突拍子もない話を聞いても馬鹿にしないで。
「そう言えば、征十郎君は昔は両方とも赤目だったのに、急にオッドアイになって、カラーコンタクトでもし始めたのかなと思ってたけどね」
「そのことについて矢沢さんから質問されたことがあります。僕は『はい、そうです』と答えました」
 征十郎と征一郎がカラコン使って皆を騙したことは話した方がいいんだろうか……。
 ……話してもいいんだろうけど、今はまだ、いいだろう。
「僕は、光樹のことが好きなんだ。一緒にいたい。それから、征十郎とも」
「だから、矢沢を呼んだんだよ。征一郎」
 征臣サンの声は穏やかだった。上品に紅茶の入ったカップを傾ける。その様が如何にも上流階級の人間と言う気がして――流石は赤司達の父さんだなと見惚れていた。
「詩織が生きてたら――征一郎のことも可愛がってくれただろう」
 征臣サンは嘆息した。
「そういえば、詩織サンとは天国で会わなかったの? 征一郎」
 オレは疑問に思ったことを訊いてみた。
「いや……彼女……母はもう、この世に別の人間として転生し終わった後だったから――」
「ふむ。……詩織も幸せになってくれるといいな。あれは体が弱かったから……今度は健康で丈夫な体であるといい」
 征臣サン、本当に詩織サンのことを愛していたんだな……。
「母様は……父様やオレを待っててはくれなかったんだね……」
「いいさ。征十郎。いろいろあるんだろう」
 征臣サンは寛容だった。
「それに、今はお前達がいる。征十郎に征一郎」
「ありがとうございます」
 二人の声が重なった。やっぱりこういうところは元同一人物だな。緑間は火神に「赤司征十郎は二人いる」と言ってたらしいけど。
 だから、最初、火神から話を聞いた黒子は、赤司達を二重人格かと思っていたらしいけど――。
「紅茶、冷めて来たね。淹れ直そうか? 光樹」
「え? いや、お構いなく――」
 オレは赤司家に来てちょっと固くなっていた。いくらか慣れたとはいえ。矢沢サンは面白そうにオレ達の話に耳を傾けているようだった。オレも紅茶を堪能する。クイーンメリーの香りがする。冷めて来たとはいえ、十分に美味しかった。
 窓から見える外の風景が綺麗だった。芝生がよく刈り込まれている。
 矢沢サンは何だか難しい顔をしていた。何と言ったらいいか言葉を選んでいるようだった。
「私はね、征臣さん――あの世も超常現象も信じない質でね……でも、征臣さんが嘘を言うとは思えないしね」
「嘘じゃありません!」
 征十郎ががたっと立ち上がった。
「どうどう。嘘とは言ってないよ。征十郎君」
「……そうでしたね。済みません」
 征十郎は再び腰を掛けた。矢沢サンが眼鏡を直す。
「私が考えているのは、征一郎君の身の振り方とどうやって彼のことを役所に話すかだよ。これはちょっと話を作った方がいいと思って。ほら、嘘も方便と言うじゃないか――このまま征一郎君がこの世で生きていくのは、本人が考えているよりとても大変なことかもしれないからね」

後書き
赤司家に行った降旗クン達。
征一郎の為に嘘をつくことになりました。お役所相手に(笑)。
2020.04.13

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