ドアを開けると赤司様がいました 132

 カントク……何の用だろう……。
 オレは受話器を取る。カントクが出た。
『あ、もしもし降旗クン?』
「はい、もしもし――お久しぶりです。カントク……」
『今、食事中?』
「は? いや――まぁ……」
 今日は暖かいな。そういえば、昨日はシャワー浴びなかったんだっけ。汗臭くなってないといいけど。――オレの考えが脱線しかけたその時だった。
『あのね、降旗クン……あなた、ダンクの動画をアップしたわよねぇ』
 ――え? いけなかった? そりゃ、カントクは女バスのカントクでもT大はオレのライバル校だし、オレのプレイがウケていればカントクだって面白くはないのだろうが……。
 いや、カントクはそんな器の小さい女じゃない!
『随分上達したわね』
 ――カントクの声は、しっかりとしたものだった。オレの成長を祝福しているような声だった。
「どうも……」
『それでね。話なんだけど――あの動画、うちの大学でも教材に使ってもいいかしら』
「え――ええっ?!」
『ね、お願い☆』
 カントクが星を飛ばした――そんな様子に見えた。
「いいスけど……そんな参考になるもんじゃないですよ」
『降旗クン。もっと自信を持ってよ……毎日赤司クン達と渡り合っているんでしょ? 知ってるんだから。あの二人が双子であることは』
 本当は双子なんじゃなくて、どういう訳か知らないけれど、征一郎がある日突然現れた――そう、カントクに伝えることが出来たらどんなにいいだろう。カントクは頼りになるし、赤司達の力になってくれると思うんだ。
 でも、赤司達の許可を得ずにそんなこと言ったら話はややこしくなるだけだろうし……。
『あ、ごめん。降旗クンの大学、私の大学とはライバルだったわよね。それなのに、降旗クンのプレイを参考にしようなんて、虫のいい話だったわよね』
「いや、あの――黙っていても良かったんじゃ……」
『他の人相手だったらこんな電話かけないわよ。でも、私も降旗クンにはお世話になったし――お正月のお雑煮のことで』
「あれは赤司の力だよ」
『でも、私が壊した食器とか、片付けてくれたじゃない。すごーく助かったのよ。私も桃井サンも』
「あ、えへへ……そう……?」
『だから、降旗クンに対しては恩がある訳。一応……許可もらおうと思って』
「オレは大丈夫だよ。オレの画像なんて、好きに使ってくれて構わないよ。もしそれが役に立つんであれば」
『そう? あ、赤司クンに電話代わってくれる?』
「ああ、うん……オレ、今ちょっとシャワー浴びたいから」
「ご飯はどうするんだい? 光樹」
 オレの声を聞いていたらしい赤司――征十郎の方かな?――が口を出す。
「はい、赤司。……シャワーはものの数分で済ますよ」
「よし、わかった。もしもし、相田先輩――?」
 オレは受話器を赤司に渡してざっと汗を流す。ふー、気持ちいい。……ついでに頭も洗うか。
「ふう……」
 バスタオルで体を丁寧に拭いた後、オレは食堂に戻って来る。
「ドライヤーはかけなくていいのかい? 光樹」
 征一郎が訊いて来る。
「今からやるよ……」
 オマエはオレの母ちゃんか――そんなことを言っていた青峰の気持ちが、少しわかった。あの時は征十郎が言ったんだっけか。
「だけど、手伝いもしたいし」
「僕がやっておくよ。本当は光樹の髪を乾かすのを手伝いたいんだけどね……」
 青峰が茶々を入れるように、ぴゅいっと口笛を吹いた。
「――お熱いこって……」
「な……青峰、あのな……」
「何を焦っているんだい? 光樹……いずれ共寝をする仲じゃないか」
 大学に入る前のオレだったら、絶対になりたくねーっ!と叫んでいたところだったが、今は……少し、絆されそうになってるかも……だって、征十郎とは……やったことあるし、オレだって苦痛なばかりではなかったし。
 それにしても、このオレが赤司征十郎とチョコレート・プレイをすることになるとは夢にも思わなかったけどな……オレは、あの時の甘いチョコの匂いを思い出していた。
「終わったよ、光樹。――先輩はキミのプレイを教材にしたいとか言ってたけど、本当は、光樹の成長が嬉しくて皆に自慢したかっただけじゃないかな。……相田先輩も認めていたことだけど」
 そっか。カントクにとってオレは自慢の後輩か――なんか、嬉しいな……。
 オレはほう、と吐息をついた。青峰達が微笑んでいるのがわかった。
 ――いつもと同じ朝。だけど、幸せな朝。
 青峰がいるところが、いつもと違うけど。
「大輝。――家に帰ってやれ。オマエの方から折れてくれたら、大輝の父さんだって許してくれるさ」
「嫌だね」
「大輝――キミはもう大学生だろう? もう大人だろう? それに――大輝の父さんとだっていつまでいられるかわからないんだし。キミは大学を卒業したら親元を離れて暮らすんだろう? ――僕達みたく」
 征一郎は子供にするように、噛んで含めるように説得する。
「ああ……」
 青峰は思うところがあるらしかった。
「――ま、仕様がねぇか。でも、オレの夢は変わってねぇかんな。バスケプレイヤーになること」
「それは大輝の父さんと話し合うといい」
「かはっ。また喧嘩して家飛び出すかもしれねぇけどな」
「その時はまたここに来ていいよ。――ゆうべはトランプ遊びをして楽しかったね」
「大貧民な。オレは一度も赤司に勝てなかったぜ」
「オレに勝負事で勝とうとは百年早い」
「オレがせっかく革命しても、またひっくり返されるんだもんな」
「まぁな。――せっかくだから食後にコーヒーでも飲むかい? それから、オレは学校へ行くから」
 征十郎が言った。征十郎一人だったら大学でももう部外者とは言われないだろう。
「僕は掃除でもして君達の帰りを待っているよ」
「光樹。途中まで付き合わないか?」
「え? いいけど――」
「良かった」
 征十郎がにこっと笑う。こうやって見ると、征十郎が年相応に思えて来る。可愛い。
 彼は台所へ行く。やがてコーヒーのいい匂いが漂って来た。征十郎の淹れたコーヒーは絶品なんだよな。
「はい。どうぞ」
 征十郎は三人分――征十郎自身も入れて四人分――のコーヒーを注いだ。
「おう。旨そうな匂いだぜ。コーヒーは嫌いじゃねぇかんな」
 嬉しそうに青峰が言う。一口飲んでぷはっと息を吐いた。
「あー、うめぇ。赤司ぃ、おめぇ、菓子も作れるだろ? 立派に喫茶店開けるぜ。――全く。世の中にゃこういうチートなヤツもいるんだからな。やんなっちまうぜ」
「ふむ。コーヒーはやはりモカだな。なぁ、もう一人の僕」
「わかってくれて嬉しいよ。好みは一緒だな。流石もう一人のオレ」
 赤司さーん。二人とも、自分同士で奇妙な会話しないでくださーい。……会話自体はそんな変でもない……むしろ普通の会話なんだけどさ。征一郎と征十郎――これから征一郎には身の振り方を考えてもらわねば。
 征十郎には、彼の世界、というものがある。だが、征一郎は自分の世界をこれから作り直さねばいけないのだ。
「モカは酸っぱくてやだぜ。やっぱブルマンだな」
「む……大輝のくせにブルマンか?」
「何だよ……どういう意味だよ、征一郎」
 青峰の声が気色ばむ。――いや、いつもこんな声か。青峰は笑っている時以外は気だるげな、不機嫌そうな顔と声をしている。だからって彼が怒っている訳ではないのだが。
「何でもいいが……コーヒーは本当は今よりももう少し遅い時間に飲むのがベストなんだが、オレ達には学校があるからね」
 征十郎が言う。オレは実はまだ食べ終わってないんだよな……。早く食べなきゃ。
「いいんだよ。光樹……急がなくても。また新しく淹れ直してあげるからね」
 その征十郎の声音が優しくて――。オレはついうるっとなっちまった。ご飯と一緒に飲んでもいいけど――ご飯とコーヒーじゃ合わねぇかもな。
「それに、今はまだ、コーヒーブレイクには早い時間なんだよ。本当は」
「じゃあ、そのフリの分は冷めないうちにオレがもらうぜ」
 青峰がカップを指さすと、征一郎が眉を寄せた。
「大輝……モカは嫌いなんじゃなかったのかい?」
「別に嫌いという訳でもねぇぜ。余ってんなら、もらう。食べ物飲み物は大切にしろって母ちゃんからの昔からの教えなんだ」
 立派な母親だな。青峰!
 オレはゆっくり食べることにした。今日は――そうだな……大学は早い時間からやってるし、オレは部活があるんだよな。サボることは出来ないよな……。オレ、やっぱバスケが好きだし、休んで顧問の先生を悲しませたくないし。

後書き
降旗クンがダンクを決めたシーンを教材に使いたいと言うカントク。
だけど、バスケプレイヤーにとってはダンクって見る物じゃなくて実践する物だと思うのですが。
父はダンクを「あまり綺麗でないシュート」と評していました……。
2020.04.10

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