ドアを開けると赤司様がいました 116

 体を丹念に洗った後、買って来た入浴剤をぽとんと落とす。それはしゅわしゅわと溶けて行った。――辺りに檜の香りが漂う。赤司達もオレも好きな香りだ。この香りに包まれるとリラックスする。……普段なら。
 でも、今のオレはそれどころではない。
 殺される――風呂から上がったらあいつらに殺されるんだ……。
 やっぱりオレはチワワだぜ。或いは子猫ちゃんか。情けねぇぜ。オレ。あんな中二病バリバリの二人に恐怖を覚えるなんて……。
 でも、二本挿しだしなぁ……。初めて聞いた言葉だが、意味はすぐにわかった。
 そんなプレイに溺れることが怖いんじゃない。単純に、尻が壊れることが怖いのだ。
 やめてもらうよう赤司達に頼んだ方がいいかなぁ。けど、あいつら、簡単に諦めそうにないからなぁ……うー、どうしよ。
 ずーっとこのお風呂に籠城することは出来ないだろうか……。
 そんなことを考えているうちに、何だかゆだって来た。
 ドンドンドン、とドアをノックする音が聞こえる。
「どうしたんだい? 光樹。ちょっと長風呂過ぎるんじゃないのかい? もしかしてのぼせたのかい?」
 うー、そうみたい……どっちの赤司だろう。ぼんやりと考えながらオレはぶくぶくと湯舟に沈んで行った。
「光樹!」
 頭が、重い……。オレはくたっとなった。それから先のことは、はっきりとは覚えていない。確か、征十郎か征一郎に抱え上げられたのはわかったけど……。
「大丈夫かい?」
 征十郎がオレの頭を冷やしてくれる。征一郎がはたはたと団扇でオレを仰ぐ。
「のぼせたんだね。光樹」
 征十郎がこの上もなく優しい声でオレに語り掛ける。しかし、元はと言えば、アンタが言ったことが原因だよ。
「オレ達と寝るのが嫌だったのかい?」
「え、ああ、まぁ……」
 オレは言葉を濁す。あ、バスローブ……いつの間に着せてくれたんだろう。赤司達が何でも出来るのは認める。悪気のないのも認める。だけど――あんまりオレをビビらせないでくれ……。
「僕と寝るのが嫌だったのか?」
 征一郎が真顔で訊く。
「そうじゃないんだけど……いや、そうなのかな」
「はっきりしろ」
「だって、二本挿しって――あれ、きっと物凄く痛いんだろう?」
 征十郎と征一郎が顔を見合わせて、それからあっはっはと声高に笑った。何だよ。失礼なヤツらだな。
 春が近づいたというのに、まだ冷えこむこともある。それなのに、のぼせてしまうなんて――。
「あれは、冗談だよ。――まぁ、試してみたいとも思うけど……光樹には負担がかかるからね……」
 征十郎は絶対やらないとは言わなかった。オレは赤司達の言質を取り損ねた。――ちっ。オレはアンタらのおもちゃじゃねぇんだぞ。いつか言ってやりたいことだったけど!
 ――ああ、だけど……オレの顔を覗き込んできた征十郎の何の邪気もなさそうな笑いを見ていると、その言葉を言うのもためらわれた。
「タオル取り換えてあげる」
「僕がやるのに――」
「征一郎はいいよ。オレが光樹の世話を焼きたいんだ」
 征十郎はひらひらと手を振った。征一郎も意外と世話焼きなんだな。まぁ、昔、洛山バスケ部のキャプテンだったからな。征十郎もそうだったけどな。というか、征十郎の方が在任期間は長かったはず。
 ウィンター・カップで人格が入れ替わったからなぁ……。
 赤司達には二人分の特技があるのかなぁ……。
「ねぇ、赤司――二人いるんだったな――赤司は、どっちの技も使えるの?」
「え?」
「だから、征十郎と征一郎――どっちの技も」
「ああ。オレも征一郎も天帝の眼は使えるし、征一郎もオレと同じように選手の潜在能力を引き出すことが出来る――オレは試合の先の先まで見通すことが出来るし、征一郎もそうだ」
 それは……もう殆ど無敵じゃねぇか。
「お前らが組んだら――最強のタッグになるよ」
「……まだ足りない。お前が欲しい」
「オレなんか……何の役にも立たないよ……」
「お前は自分の実力をわかっていない。弱そうだけど、本当に弱い訳じゃない。いつか相田先輩が言ってたようにね。キミは、プレッシャーと戦いながら自分の仕事をきっちりやった。それはもう職人と言っていい程だよ」
 そういえば――『海を渡って来た職人』て、どこかで聞いたような気がするな。そういう存在があるのなら――オレは、それになりたい。縁の下の力持ちを目指すオレにとって、それはぴったりの言葉じゃないか。
「ねぇ、光樹……今日は我慢してあげる。その代わり、キスしていいかい?」
「ああ……」
 キスだけで済めば安いもんだ。二人の赤司に突っ込まれるよりはな――。
「じゃ、僕から」
 征一郎がオレの唇に、ちゅ、とキスをした。
「では、今度はオレだな」
 征十郎の唇がオレの唇に近づく。オレのほんの少し開いた唇から、征十郎が舌を入れる。
「――?!」
 征十郎がオレの上顎を舐める。うひゃあっ、くすぐったい――。
 そして、オレの中の何もかもを舐め取るようなキス――。
 あ、ほら。征十郎。征一郎が見ているじゃないか。ううっ、離してくれ。息が出来ない……苦しいよぉ……。
 ようやく、征十郎の舌がオレの口内から出て行った。――オレは息を吐くことが出来る。ああ。新鮮な空気が旨い……。征十郎とのキスも悪くはないけど――何だかもう、思考がぐちゃぐちゃになってしまいそうで……。
「ずるいぞ。征十郎」
 あれ、征一郎怒ってる? というか、妬いてる?
「オマエがそんなディープキスをするとわかっていたら、僕だって――」
「そんなことで敵愾心持たないでくれるかい」
「――光樹。もう一回キスしよう」
 征一郎が詰め寄る。征十郎が押さえた。
「だーめだめ。さぁ、光樹を寝せてやろう。光樹はお風呂にのぼせてしまったんだから、無理はさせないことだよ」
 征十郎……一番無理させてんのはアンタだよ……。
「オマエにだけは言われたくないな」
「同感」
 征一郎とオレは意見が合ったようだ。
「ディープキスをするなとは言われなかったからね」
 と、征十郎が嘯く。まぁ、確かに、オレが迂闊だったと言えば迂闊だったけどねぇ……。
 緑間と高尾の方はどうなんだろう。今、急にあいつらのことが気になった。――あいつらはオレ達より対等かもしれない。高尾はあれで強かだから――。
「さてと、寝よう。おやすみ」
「おやすみ」
 あ、体が火照っている。お湯にのぼせたせいだけではない。ちゃんと寝られるかな。オレ。
 けれど、いつの間にかオレは寝てしまった。オレも随分図太くなったもんかもしれない。

「あ、おはよう」
 この匂いは――オムライスだな。大好物だからすぐわかるよ。
「今日は征一郎が作ったんだよ」
 へぇ……征一郎の作ったオムライスって初めてだよな。
「いただきまーす……うん、旨い」
 征十郎の作ったのとはまた違う意味で旨い。ケチャップの風味が効いてるよな。
 ――電話が鳴った。誰だろう。人がせっかくオムライスを堪能していたという時に。
「もしもし。降旗ですが――」
『あ、降旗さんですか? 小笠原です。おはようございます』
 ――小笠原コーチ!
 小笠原コーチには、家の電話番号も伝えておいたのだ。
『今、監督と代わりますね』
 少し間が開いて――。
『もしもし。監督の古谷です』
「あ、ああ……もしもし、は、初めまして……」
 ああ、オレはやっぱりビビりだ……。ミニバスチームの監督さんだ。多分いい人なのはわかるけれど……。赤司達はオレを注目しながら黙って聞いている。
『初めまして。前に子供達が世話になったようだね。赤司君はいるかい? お礼がしたいんだけど。――ああ、そうだ。君のバイトの話なら是非こっちからOKさせてもらいたい』
「はぁ……」
 古谷監督の声は冬の太陽のようだ。淡雪を少しずつ溶かしていくような――。きっと子供達も監督に懐いているんだろうな……。
『ミニバスは平日でもやるんだが、君には学校があるだろう? だから、土日でいいから来てくれるかい?』
「はい!」
 オレは張り切って返事をした。こちらを見ている赤司達の目がまるで保護者のような穏やかな目つきだったのは、気のせいではなかっただろう。

後書き
やはり降旗クンにもすぐにわかりましたか。あの言葉の意味(笑)。
そして、降旗クンに大栄ミニバスから電話が――。
2020.02.14

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