ドアを開けると赤司様がいました 107

 オレ達は顔を見合わせて笑った。通学デート。確かにそうには違いない。――この駅の空気や匂いは、このところすっかり遠ざかってしまっていたものだった。学校へは車で行く方が多いもんな……。
オレ達は、まだ駅にいた。
「あ、送ってくれて……その……ありがとう」
「何の。どういたしまして」
 征一郎はさらっと答える。征一郎も征十郎もこういう時はスマートに答えるんだな……。いや、俺司である征十郎の方は実際にどう言うかどうかしらんけど。
(あ、赤司様よ……)
(あの人、友達かしら――)
 うん、友達だったらこれ以上愉快な友達もないかもね。でも、征十郎達はそれ以上を求めるから困るのであって――。
 ――僕司……じゃなかった、征一郎がオレの手の甲にキスをした。わっ。何してんの征一郎!
「きゃあああああっ!」
 姦しい女子高生の団体が叫び声を上げる。それを聞いたのか、何だ何だと皆がオレ達の方を見てざわつく。――ああ、オレ、人の注目を集めるのは苦手なのに……。チワワメンタル復活するぞ!
 ……チワワメンタルなんて、復活しても何もいいこと起こらないんだけどね……。ああ、さっきの女子高生が写メ撮ってるよ――って、写メって古い言葉かな。
「朝から超眼福ー」
「二人ともイケメン過ぎるー」
 赤司はともかく、オレはイケメンじゃないと思うけど――。
「また新しい思い出が出来たね。光樹。……いや、伝説かな」
「はは……」
 どうでもいいよ、もう……。征一郎は中二病拗らせちゃってるから、伝説とかそういう類のものが好きなんだろう。けど、それにしたって――。
「おーい!」
 聞き覚えのある声。この声は父ちゃんだ。
「父ちゃん!」
 父ちゃんが息を切らして駆けて来た。助かった――と、ちょっとだけ思った。父ちゃんもオレに似てチワワメンタルだもんな……あ、オレが父ちゃんに似たのか。
「光樹君のお父さん!」
 征一郎もこれにはびっくりしたようだった。
「やぁ、おはよう。征一郎君……征一郎君……だよね、そのオッドアイ、特徴的だからすぐわかったよ。――やぁ、光樹。元気にしてたか?」
 元気にしてたかって、昨日会ったから知ってんじゃん。それに、病気だったらこんな空気の悪いとこ来ねぇよ。
「親父……あ、いや、父ちゃん……どうしたの?」
「キミ達が走っているのが見えてね――ちょっと挨拶しようと追って来たんだ」
 その為にわざわざ? でも、じゃあ、征一郎に手の甲にキスされたのも見られたかな。父ちゃんにだけは見られたくなかったのに……。
「はぁ……はぁ……」
 父ちゃん、息を切らしてる。……ははは、馬鹿だなぁ。でも、オレを心配してるのはわかる。赤司の父ちゃん――征臣サンもいい男だが、うちの父ちゃんもそれなりによくやっていると思うよ。
「ははっ。父ちゃん、ウケるし……」
「は……? 何か変かな、僕……」
「光樹君のお父さん。これ、使ってください」
 征一郎がハンカチを取り出す。そういえば、親父……汗がすごい……。
「え?いいよ。悪いよ。こんな高そうなハンカチ……」
「いつぞやの万年筆のお礼です。あ、もらったのは征十郎ですが」
「ああ――あれか。いや、大したものじゃないですよ。あれは」
「気に入ったんで、愛用してるようです」
「いやぁ、参ったな。ははは。汗はそのうち乾くから――君にも何かそのうちあげるよ」
「では、光樹のお母さんが作るおはぎをください。そのうちに」
「……そんなんで、いいのかい」
「いいんです。――光樹。今度は僕の為にまんじゅうを作ってくれ」
 ああ、あの時のか。確かまだあの時は征一郎はうちに現れて来ていなかったな。……消えたものだとばかり思ってて……時々征十郎が寂しそうな顔を見せていたっけ……。
「うちのおはぎは甘いよ」
「構いません。僕は好き嫌いないですから――あ、わかめがダメだった」
 征十郎と征一郎は、好物も嫌いなものも一緒か……。
 それにしても、僕司の名前が決まると同時に、なし崩しに今までの赤司征十郎も『征十郎』て呼ぶことになりそうな予感……。
「じゃあ、僕、ここで乗り換えだから。征一郎君。光樹を宜しくお願いします。後、征十郎君にも――あ、もう行かなくちゃ」
 父ちゃんはバタバタと去っていく。やれやれ。わが父ながら慌ただしい男だ……。もう少し颯爽と遠ざかることが出来ないもんかね。征臣サンみたくさ……。
「あ……」
「どうしたの……? ……征一郎」
「母さんの仏壇に手を合わせるの忘れてた」
「ここでお母さんのご冥福を祈ったっていいんじゃない? 想いは通じるよ」
「――そうだな。ありがとう、光樹。征十郎が何でお前に惚れたのか、わかる気がするよ。お前といるとほっとするんだ……」
 そうかい。オレは、かえって緊張してぎくしゃくしてしまうけどね。でも……だからと言って嫌いな訳じゃない。本当に、赤司のことは知れば知る程だんだん惹かれてく、好きになっていく――。
「せい……いっいちっ……!」
 また噛んじまった……情けねぇ……。征一郎がせっかく告白してくれたのに、満足に返事も出来ないで……。滑舌良くしようかな……。
「光樹。無理するな。僕も征十郎も、光樹みたいに発音が良くて、意味も良くて――ていう名前になりたいと思ってたよ……」
「それはご両親に失礼だよ。征十郎も立派な名前じゃないか……」
「僕は征一郎だ」
「仮の名はね。お前は赤司征十……征十郎だよ」
「違う。僕の名は赤司征一郎だ。ずっと好きだった……お前がつけてくれた名前じゃないか……! 僕が、どんなに、嬉しかったか……!」
 征一郎が……あの、僕司が……泣いてる?
 オレを『僕に逆らうヤツは親でも殺す』と言ってビビらせた、あの赤司が、泣いてる……? 今、わかっているのは、オレも泣きそうになってることだけ……。
「泣くなよ。征一郎……お前らしくもねぇ……」
 オレらは、駅の構内で抱き合ってしまった。そして、当然かもしれないが――電車に乗り遅れて大学に着くのも遅れてしまった。

 オレが学校から帰って来ると――部屋の中がいい匂いだった。いい匂いっていうのは、美味しそうな匂いっていう意味だ。征一郎はまだ大学から帰って来ない。
『征十郎がアパートの部屋にいるはずだから精々相手してやってくれ』
 ――と、託されたけど、征十郎はオレよりしっかりしてるはず……しかし、何だ。この涎を誘う匂いは……思わずじゅるっとなっちゃうじゃないか……。俺司……じゃなかった、征十郎が作っているのかな。
「あ、お帰り。光樹」
 あれ? 征十郎? 何もやってない? オレは台所の方に目を遣った。
「あ、お帰りなさい。光樹坊ちゃま」
 え? あの人、シェフの人じゃ……。コックの帽子まで被って……。
「紹介しよう。オレの家のシェフの岡さんだ」
「宜しくお願いします。キミはペペロンチーノが好きだってね。それだけじゃ寂しいから、他にもいろいろ作ったよ」
「今日は征一郎が我が家に来たお祝いだからね」
 ……そっか。征十郎――まだ慣れないな。この呼び名――も、自分の分身のことをちゃんと考えてくれているんだ。何だか、ちょっと妬けちゃうな。あ、それがバレたらオレ、どんな目に合わされるかわかったもんじゃないから、口は噤むけどね。そのことに関しては。
「コンソメもありますよ。鳥の丸焼きは赤司家で焼いたものを持って来ました」
 うわぁぁぁぁ。赤司達のおかげで今日はご馳走だぁ。
「降旗様は坊ちゃまの大切な友達ですからねぇ」
 岡さんは人の良さそうな笑みを浮かべる。まさか、オレが赤司ズに恋してるなんて、思ってもみないだろう。オレだって、こんなBL紛いの環境、ちょっと前なら考えてなかったもん。
 考えていることと言ったら……バスケか。オレは高校の三年間ずっとバスケのことを考えていた。そして、今も――。
「光樹……こっちおいでよ」
「ああ……うん……」
 岡さんがオレ達の関係を知ったら何と言うだろう。あの、人の良さそうな笑みが蔑みに変わらないだろうか。そう考えているオレは、まだ同性同士の恋愛に偏見を持っているのかもしれない。
 俺司とはあんなこともこんなこともやったし、そういうことを考えること自体、オレの偏見は根強いのかもしれないけれど――。
「僕司……せいっ、せいいちょ……」
 だめだ……噛み噛みだ……。征一郎が早く帰って来るといいな、と言いたいだけなのに……。
「ん? 何か言ったかい?」
 ああ、俺司……征十郎にも伝わってない……。
「な、何でもございません……」
「――嘘だよ。征一郎に関わること、何か言いたかったんだよね、光樹は……」
「うん。でも、オレ、征十郎……や征一郎の名を呼ぼうとすると、噛み噛みで……緊張してるってことなのかな」
「何とも思われてないだけマシさ。それとも、キミには自分の舌を噛んでしまう癖があるのかな?」
 ああ、そうか……何度も噛んでしまっているからなぁ……。でも、噛まないでスムーズに言える時もあるよ。
 治してあげる――そう言って、征十郎がオレの唇から舌を入れる。舐めて治そうというのだろうか。だが、オレも抵抗らしい抵抗はしなかった。
「坊ちゃま、舌平目のムニエルはど……」
 オレ達のキスシーンを目にして、岡さんは固まってしまっていた。オレは征十郎をどかそうとしたけど、征十郎がオレを離さなかった。

後書き
またまたオリキャラ登場~。
オリキャラは世界観を広げてくれます。嫌な人は嫌かもしれませんが。
2020.01.21

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