乙女心はあっちこっち

「ねぇ、タイガー」
 ブルーローズことカリ―ナ・ライルは、ワイルドタイガーこと虎徹・T・鏑木に話しかけた。
 虎徹は珍しくトレーニングに励んでいる。
「何だ? ブルーローズ」
「……素顔の時はカリ―ナでいいわよ」
「おう、カリ―ナ」
 虎徹は何でもないようにカリ―ナに答える。カリ―ナは虎徹に本名でずっと呼ばれたかったので、その呆気なさに驚き――そして顔を赤らめた。
 彼には、そういう、何気ない動作ひとつにも人をどきっとさせる影響力を持っている。
「この間、ハンサムと自分の実家に行ったそうね」
 ハンサム――バーナビー・ブルックス・Jrをカリ―ナ達はそう呼んでいる。
 バーナビーは目の覚めるような美青年だからだ。だが、顔立ちの美しさでいったら、カリ―ナも負けてはいない。
 何せ彼女は、セクシー系ヒーローとして名高いブルーローズなのだから。
「アンタの家、私も行ってあげてもいいわよ」
「へ? 何でおまえが俺んちへ?」
 影響力はともかく、虎徹は妙に鈍いところも持ち合わせている。
「……あ、娘さんに会いたいのよ」
 カリ―ナはそっぽを向く。
「そうかあ! おまえも楓に会いたいかぁ!」
 虎徹は途端に相好を崩す。
「楓ははっきり言っていい子だぞ! 頭はいいし、顔も性格もいい!」
 虎徹は微塵も疑っていない様子だ。
「よし、今度の週末連れてってやる! 楓もきっと喜ぶぞ!」
「……うん」
 カリ―ナは、はにかみながら頷いた。
 本当は虎徹の育った家を見たかった――というのが本当の理由なのだが。
 それに――バーナビーに先を越されたくなかった。
 バーナビーは間接照明にこだわっている。間接照明に凝るのは、ホモと何とかだと、ある映画で言っていた。
(バーナビーは男だけど……)
 こっちは花の盛りの美少女なのだ。少し若過ぎるのが難点といえば難点なのだが。
 バディにはなれないが、その代わり、自分はとにもかくにも女性なのだ。虎徹の好みはわからないが、少なくともゲイではないだろう。
 虎徹の左手の指輪がちかっと光ると、カリ―ナの胸はちくりと痛んだ。
(恋敵はバーナビーばかりではないのね)
 カリ―ナは些か複雑な、砂を食むような気持ちを味わった。
「土曜でいいな」
「あ――うん、もちろんよ」
 虎徹の言葉は、カリ―ナを物想いから引きずりおろした。
「に、日曜もいていいの?」
「もちろん。泊ってくだろ?」
「でも……」
 虎徹の家に泊る。嬉しいような、怖いような……。
「あーら、アンタ達、泊りがけで遊びに行くの?」
「ネイサン!」
 カリ―ナが驚きの声を上げた。
「き……聞いてたの? いつから?」
「今来たとこよ。でも、泊るってどういうこと?」
「ああ。こいつ俺んちに泊めるからって――あ、いやいやいや!」
 虎徹が自分の台詞の重大さにやっと気付いたらしい。
「別に他意はなくて――ただ、カリ―ナが楓に会いたいって言うから――」
「カリ―ナ、ね。前はブルーローズって呼んでなかった?」
「だって、カリ―ナが『カリ―ナ』って呼んでいいって言ってるし――なぁ」
「うん」
「カリ―ナ、気をつけなさいよ。んじゃ、アタシもトレーニングに集中することにしようかしら」
「おい待てネイサン! 誤解だ!」
 カリ―ナは誤解でもちょっと嬉しいかも……と思った。
「僕は反対です」
 カリ―ナが虎徹の実家に行くと聞いた時、バーナビーは秀麗な眉を顰めた。
「カリ―ナさんは将来もしかしたら結婚する可能性のある女性です。僕の時のようには行きませんよ」
 カリ―ナを心配しているふりをして、その実ライバルを牽制しようとしている。
「もしかしたらは余計よ。ハンサム」
 カリ―ナは脹れっ面をした。
「大体、これがマスコミにバレてスキャンダルになったらどうするんです?」
 それはそれで嬉しいかもとは思うが、バーナビーの言うことも一理ある。
「だよなぁ――んじゃ、カリ―ナ。日帰りで――」
 ええっ?! 嫌よそんな……!
 大体ハンサムは泊めておいて私は日帰りだなんて!
 全く! ハンサムも余計なこと言って! もう容赦しないんだから!
 こうなったら奥の手!
「私、姉妹とかいなかったから、楓ちゃんと一緒に泊りたいなぁ……」
「そうだな! うん! ちょうど楓も一人っ子なんだ! 姉ができたようで喜ぶぞきっと!」
 子煩悩パパな虎徹はあっさり陥落した。
 娘をダシに使うつもりですか。
 ――バーナビーの光る目が雄弁に物語っていた。何でもいい。恋愛は勝てばいいのだ。
「でも、おまえ、何でそんなに楓に興味があるんだ?」
 そうそう、という感じにバーナビーは頷いた。虎徹もやっとおかしいと気付いたらしい。
「だってさ――おじさん、私のバイト知ってるでしょ? 私がおじさんの娘ってどんな子かなって思ってもおかしくはないんじゃない?」
「そんなもんかねぇ」
 虎徹は変わった形の顎鬚を撫でる。
「私だけが知らないなんて、フェアじゃないわ」
「フェアかぁ……」
 虎徹はまだ顎鬚を撫でている。バーナビーは炎を潜めた目でカリ―ナを睨んだ。
(ふん! 怖くないわよ!)
 カリ―ナも睨みつける。
「じゃあ、いっそのこと、二人で来るか?」
「嫌よ!」
「嫌です!」
 同時に叫んだ後、二人は反目し合った。
「何で駄目なんだ。楓も喜ぶぞ」
「う……」
 娘を利用しようと打算的な台詞を言ったことを、カリ―ナは後悔した。これは厄介なことになるに違いない。
 自分が悪かったのだ。カリ―ナはきゅっと口元を引き結んだ。
「仕方ありませんね。楓ちゃんには会いたいし」
「ハンサムが行くなら私も行くわ。――その、私も楓ちゃんに会いたいし」
 こうなったら『楓ちゃんに会いたい』で押し通すしかない。それに、事実満更嘘という訳でもなかった。
 虎徹の子なら、きっといい子だろう。虎徹が自慢している通り、可愛いかもしれない。
「貴方も来るのですか……」
 バーナビーは邪魔者でも見るようにカリ―ナを一瞥した。
「悪い?」
「まぁ、これは本人の自由意思ですからね。おじさんが来ていいというのなら、僕に止める権利はありません」
 それは暗に、おまえも僕を止めることはできないんだぞ、と言っているようなものだ。
 カリ―ナはバーナビーの蛇のような執念に些か怯む想いがした。
 この男に狙われたら、虎徹もただでは済まないかもしれない。
 思えばバーナビーも気の毒な育ちではある。両親を目の前で抹殺されたのだ。性格も歪むというもの。
 だが、二十数年かけて復讐に生きたバーナビーが、その執念深さのまま、虎徹に想いが行ったらどうなるか。
 カリ―ナは背筋が寒くなった。バーナビーは虎徹を手放すまいとするだろう。
 だが――カリ―ナが好きになったのは、バーナビーによって変えられた虎徹なのだ。
 バーナビーは、ライバルなだけでなく、間接的な恋の相手でもある。
 それに気付いた時、カリ―ナははっとして、バーナビーと虎徹を見遣った。
 間接照明のような恋。
 私も相当険しい道を選んでしまったわね、とカリ―ナは思った。しかし、今度は後悔しなかった。どんなにややこしくても、それは自分が選んだ道なのだから。カリ―ナは覚悟を決めた。
 自分の好きになったのは、虎徹か、バーナビーか。
 少なくとも楓は自分の味方をしてくれるだろう。一縷の望みを抱いて、カリ―ナは己を安心させようとした。
(何かの――歌みたいね)
 カリ―ナはそう感じた。歌の世界は綺麗だからいいけど、現実になるといろいろと厄介だ。
 家族の問題。性別の問題。そして――愛の問題。
(私は、おじさんのことを何も知らない)
 楓が錨となってくれるだろうか。それに望みを託すしかない。
(それでも、私、おじさんが好き……虎徹さんが。バーナビーによって変えられたのでも構わない。私はあなたが好き)
 虎徹がカリ―ナと呼ぶのはいいが、カリ―ナが『虎徹さん』と彼を呼ぶのは、バーナビーの真似のような気がして嫌だった。
(じゃあ、何て呼ぶの? やはりおじさん? 私にとって、彼は永遠に若い頃恋した虎徹おじさんなの――?)
 それならそれでもいい。自分には大人の恋はまだ早過ぎる。
 酒場では、大人の恋を歌う女性も、現実ではささやかだけど幸せな恋をしたいと思うようであった。

後書き
本当は『楓ちゃんといっしょ ~ブルーローズ編~』というタイトルだったのですが、全然違う展開になったので急遽変えました。
乙女心は複雑怪奇です。
2011.10.24

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