黒バス小説『相合傘』

 あ。
 雨が降ってきたのだよ。
 けれど、オレは大丈夫。人事を尽くして抜かりはない。今日はちゃんと傘を持ってきてる。
 ところで――
「高尾、傘は?」
「あっ、やっべ。忘れてきちった」
「この調子だとかなり降るぞ」
「ええー。どーしよー」
 高尾らしくもない。高尾だって傘は常備してるのに今日に限って。
 オレは折り畳み傘を広げた。
「――入るか?」
「えっ、いいの?」
 高尾の顔がぱっと明るくなった。
「ああ」
「へへ。真ちゃん、大好き」
 この野郎。ゲンキンなヤツめ。
 だが、こういうところも可愛いと思ってしまうオレは相当末期だと思う。
 高尾和成。オレのバスケ部での相棒。
 そして、プライベートでも――と思うのだが、今一歩踏み出せない。
 まぁいい。時間はたっぷりある。それに、オレにはおは朝のラッキーアイテムがある。
 妹には「女の子みたい」と鼻であしらわれ、高尾には笑いのネタにされてるのだが――。
 おは朝を馬鹿にする者はおは朝に泣くのだよ。
 今日のラッキーアイテムは黒の折り畳み傘。いつも持ってきているもので助かったのだよ。
「真ちゃん……」
 高尾が怪訝そうにこちらを見る。
「何だ?」
「これじゃ、真ちゃんの肩が濡れちゃうよ」
 確かに、オレの左肩は雨で少し濡れていた。傘からぽたぽたと水滴が零れ落ちる。
「平気なのだよ。このぐらい」
「だーめだめ。大事なエース様が濡れちゃうよ。ね」
 大事なエース様、か。
 オレは少し皮肉な感じがして笑った。
「お前、昔はオレのこと、憎んでたんじゃなかったのか?」
「えー。その話またぶり返すのーやだなー」
 む。確かに今のはオレが悪かったのだよ。高尾は気を悪くしただろう。ケンカなんかはしょっちゅうしたけど、立ち入り禁止のところもある。
 心安立てにオレは立ち入り禁止のところに踏み入ってしまったようだ。
 だが、案に相違して、高尾は怒っていないようだった。
「んーとね、確かにオレは真ちゃん憎んでたけどー、他のキセキってあんまよく覚えてないんだよね。真ちゃんしか見てなかった」
 高尾のセリフにオレは正直かなりほっとした。そして、嬉しかった。
 オレしか見てない。キセキの世代の中で、オレのことしか見てなかったというのは、多分高尾だけ。
 オレにも、高尾しかいないのだよ――。
 中学で対戦した時には高尾のことなんかさっぱり忘れていたくせに、な。
 今はこうやって、一緒に相合傘してる。
 青峰と黒子が羨ましかった。オレは、正月の絵馬に『秀徳合格』と書いたけど、本当の望みは違っていた。
 オレと意気投合する相棒が欲しい――そう、心の絵馬に書いた。
 そんなこと言うと妹が多分嘲笑うだろうから言わないけれど――オレは、相棒が欲しかったのだ。
 そして、望みは叶った。
 予想したよりもうるさいヤツだったけど。負けん気の強いヤツだったけど。
 今は、こいつが可愛い。
 大事な相棒だから大事にしたい。高尾が、昔はいざ知らず、今は、オレのことを大切なエース様と呼んでくれるようにだ。
「もう少し大きい傘を持ってくれば良かったのだよ」
「サイズの問題じゃないって、いつも言ってるだろ……て、この場合はサイズが問題か」
 雨がぽたぽた落ちる中、高尾はククク……と忍び笑いをした。
「大は小を兼ねると言うだろうが。馬鹿め」
「はいはい」
「もういい。もうちょっとこっちへ来い」
「――ん」
 オレ達はぴったり密着した。艶のある黒髪からほのかに香ってくるシャンプーの匂い。
 心臓の鼓動がうるさいのは、多分気のせいなのだよ。――きっと。
「オレ達恋人同士みたい~♪」
「恋人ではないのだよ……」
 そう、まだ恋人ではない。高尾は冗談なのか本気なのか、オレのことを恋人ということがある。――多分ジョークなのだろう。笑えないけど。
 笑えないのは、オレ、緑間真太郎も、高尾和成を本気で愛し始めてしまっていたからであって――。
「あ、宮地サン」
「よぉ、緑間、高尾。急に降られて災難だったな」
 そして、宮地先輩はふっと笑った。
「お前ら、窮屈そうだな」
 確かに。大の男が二人、相合傘をしているのだ。幸せ度はともかく、窮屈には違いない。高尾の肩も濡れて来始めた。
 ――宮地先輩が、高尾に傘を投げて寄越した。
「それ、オレの傘。失くしたり壊したりしたら轢くからな」
 そして、宮地先輩は自分が濡れるのも構わずに一人走って行った。パシャパシャと先輩の足元の水が跳ねる。
 ――オレは舌打ちしたくなった。
 くっ……かっこいいじゃないか。宮地先輩。オレは――負けた気がするのだよ。
 高尾は傘を広げる。
「おー、助かった。後でお礼言っとかなきゃ」
「お礼の品もちゃんと選ぶのだよ」
 ――こんなことを言うオレも大概馬鹿なのだよ。
「うん。木村青果店でね」
「木村青果店の果物なら、先輩は飽きるほど食べているだろう」
「そうだなー。何がいっかな」
 贈り物を選ぶのもまた楽しい。
「後でいつもの店に寄るからそこから選んでおけ。オレも付き合ってやる」
「だけど勿論、オレが払うんだよね」
「当たり前だ。お前が借りた傘だ」
「んー」
 高尾は何かを考えているようだった。――そして、言った。
「オレね、あのまんま相合傘でも良かったと思ってるよ」
 テレパスか? こいつは。オレもそう思っていたのだよ。
「……だが、あのままでは二人とも濡れてしまうところだったのだよ。雨足も強くなってきたことだし」
「うん。でも、濡れた服は乾かせばいいし」
 目的地まではまだ間がある。今日は寒い。体が冷える。
「――風邪ひいて熱でも出したら元も子もないのだよ」
「真ちゃん。今日のラッキーアイテム、何?」
「この黒い折り畳み傘だが?」
「じゃあ大丈夫。ラッキーアイテムが護ってくれるよ」
 お前はおは朝占いとか、ラッキーアイテムとか、信じないんじゃなかったのか?
 そう言いかけたが、言えなかった。高尾の笑顔が眩し過ぎて。
 ――好きだ。
 そう言いたかったが、言えなかった。ラッキーアイテムが効果がなかったとは言わない。
 悪いのは不甲斐ない己自身だ。バスケで人事を尽くすことを何より大切にしているオレが、今は何もせずただぽかんと見てるだけ――。

BACK/HOME