夢草紙

 ……また、あの夢を見た……。
「義勇さん……」
 何の邪気もない、炭治郎の笑顔。可愛かった……着物は前がはだけ、褌の端が見えていた。
 炭治郎が、俺を誘っている夢……。
「くっ!」
 俺は、ばっと布団を跳ね上げた。そして、水をかぶる。頭を冷やそうと。
 俺は……いつの間に、あの竈門炭治郎に魅了されていたんだ? そうだ。魅了だ。炭治郎が微笑んでくれれば、何だって出来た。炭治郎と禰豆子の兄妹の為なら何だって出来た。
 とりわけ、俺は炭治郎に惹かれているらしい。けれど、あんな不埒な夢を見るなんて、不覚……。
 俺はまた水をかぶった。冬の夜の井戸水は冷たい。そして、冬の風も香りすら冷たい。
 ぽた、ぽた、と水滴が長い髪から落ちる。
 俺は、炭治郎が好きだ。
 けれど、どうすればいいんだ。この思い。炭治郎を窮地に追いやったのは、この俺ではないのか?
 ……俺が、もっと早く来ていれば……いや、来たからと言って、どうなるものでもないかもしれなかったが……。
 俺が来ていれば、少なくとも時間稼ぎにはなったかもしれないのに。炭治郎の家族だって殺されなくて済んだかもしれないのに。
 俺は弱気になる心を叱咤して、炭治郎に怒鳴った。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
 ――と。
 あの時の俺は、純粋に、炭治郎を怒らせ、禰豆子を守らせる為にああ怒鳴ったのだ。けれど、まさか、その俺が、性的な意味で炭治郎に惹かれることになるなんて。
 あいつは今、戦っている最中なのに。
 この想いは行き場所を知らない。
「炭治郎……」
 俺の半身が熱くなっている。俺は、その場所に手を伸ばした。俺の半身が、炭治郎を求めている。
 寒い中で、俺は、自身をしごく。
 炭治郎。炭治郎、炭治郎……。
 やがて、白濁した液が勢い良く噴射した。炭治郎……。
 俺はさぞかし恍惚とした顔をしていただろう。
 青臭い匂いが辺りに広がる。俺はもう一度水をかぶって、乾布摩擦もした。
 頭の中の炭治郎が、にっこり笑いかけて来たような気がした。

 さくさくと、雪の中を進む。炭治郎と俺が出会ったのも、こんな冬の朝だった。
 鬼は、太陽の光に弱い。炭治郎の妹の禰豆子は太陽の外へ出すなと言っておいた。禰豆子が人を食わなければいい。そうしたら、人間に戻った時、普通に生きていける。
 しかし――。
 俺の、普通、か……。
 俺だって満更初心という訳でもない。春を鬻ぐ男娼がいることも知っている。
 でも、炭治郎は男娼なんかじゃない。俺の、片思いの相手だ。
 もしかしたら、一生結ばれないかもしれない。それでも良かった。炭治郎が、元気で生きていさえいてくれたら。
 俺の命で、炭治郎と禰豆子の兄妹の命が贖われるのなら。炭治郎の願いを叶えることが出来るなら。
 炭治郎の願い。それは、妹を鬼になる宿命から助け出すことだろう。断じて、俺と結ばれることではない。
 だが、それが、俺には少し、哀しい……。
 それが叶えられる恋でないと知ってはいても……。
 柱の一人であるしのぶは俺が嫌われ者だと言っていた。だけど、俺は炭治郎には嫌われていない自信がある。でなければ、あんな無邪気な笑顔を浮かべやしない。
(義勇さん……)
 炭治郎の笑顔には、何の穢れもなかった。それとも、やはり俺は嫌われていて、炭治郎は優しいから、こんな俺にも情けをかけてくれるだけか。
 いや、そんな卑しい考えを持つ男ではない。そうだろう、冨岡義勇。己は、炭治郎の真心を疑う気か。
 あいつは、誰からも好かれる。……この俺からも。
 それは、やはり炭治郎の慈悲のなせるわざか。あの男は、鬼にすら優しい。慈悲の心をかけて寄越す。
 そんな炭治郎が好きだった。そして、いつの間にか、俺はあいつの慈悲に傅いていた。
 いつしか、そんな炭治郎の操を奪うことを願ってしまった。俺は、穢れた大人だ。
 炭治郎は何を考えているのだろうか。善逸や伊之助に囲まれているお前は。彼らと一緒に笑顔を浮かべているお前は。
 無論、善逸や伊之助が炭治郎に恋愛感情を持っているとは思えない。あいつらは年齢が近い者同士、つるんでいるだけだ。俺も、そうなりたかった。
 けれど、俺は孤独に生きることを選んだのだから仕方がない。あいつらのように馬鹿騒ぎも今更出来ない。
 俺が求めるのは、竈門炭治郎ただ一人。
 この年で純愛なんて……気味が悪いだけだ。俺だってそれなりに女は知っている。
 男相手と言うのは初めてだが。
 炭治郎。お前はもう女は知ってるだろうか。後数年も経てば、お前も俺と同じ年になるな。
 ……炭治郎が女を買うところなど想像も出来ないが。炭治郎……お前なんて、抱く方より抱かれる方が似合っているじゃないか。
 夢の中の炭治郎を思い出して、俺の頬はかっと熱くなる。
 ああ、ダメだ。ここは外だ。自涜をすることすら出来ない。それに……この雪の中、俺のせいで汚したくはない。
 けれど、炭次郎。お前の初めては俺がもらいたい。俺は、炭治郎が欲しい。
 落ち着け……落ち着け、義勇……。
 吐く息が白い。いろんな想いが溜まって苦しい。
「あら、どうかなさったの? あなた」
 丁寧な口調で声をかけてくれる妙齢の女性がいた。もうご夫君もいるかもしれない。
「苦しそうね。家に寄って行きますか?」
 俺はその言葉でしゃきっと立ち直った。こんなところで躓いていてどうする。俺は水柱。鬼殺隊の柱の一人なのだ。
「いえ、お心遣いありがとうございます。だけど、この寒さで少し参っているだけです」
 そう。俺は世間一般の人間よりも体力はある。健康にも自信がある。ただ、俺の精神がこんなに脆いものだとは思わなかった。
 しのぶに、
「冨岡さんは嫌われてますよ」
 と、言われた時は何も思わなかった。俺は嫌われてなどいない。それだけしか考えなかった俺なのに。
 炭治郎に嫌われたら、俺は生きていけるだろうか。
 ふらふらと雪道を彷徨う。いや、それは言葉のあやで、本当は、柱らしくきびきびと歩いている……だろうと思う。
 さっさと帰って、好物の鮭大根を食したかった。
 当然のことながら、俺は鮭大根より、炭治郎の方が好きだが。
(美味しいですね。義勇さん)
 そう言って炭治郎は鮭大根の味を楽しんでいた。なんとお代わりまでした。この俺ですら、鮭大根を分けてやったものだ。俺が炭治郎に甘いものだから、善逸と伊之助が文句を言っていた。
 その思い出すら懐かしい。幸せな思い出さえあれば、人は生きていける。
 なぁ、竈門炭治郎よ。お前は、家族を殺された後も幸せを見つけることが出来たのではないか? 善逸や伊之助という友達も出来て、不肖、この冨岡義勇と言う男にも巡り合うことが出来て。
 炭治郎、家族が殺されたのは気の毒だとは思う。けれど、あの時お前を怒らせた、俺が選んだ道は今も間違っていると思っていない。
 俺は、お前といて、確かに幸せだったのだから。
 お前に会えたことを、お前に出会えた運命を、心の底から感謝する。
 俺は振り返った。誰もいない。さっきの妙齢のご婦人ももういない。気のせいか、炭治郎に顔が似ていた。ふふ……俺も贔屓の引き倒しだな。さっきの婦人より、炭治郎の方が可愛く思えた、なんて。
 あいつは、男なのに……いくら想っても仕様がない相手なのに……。
 いや、この想い、炭治郎にぶつけてみようか。
 炭治郎は戸惑うかもしれない。困惑するかもしれない。手酷く振られるかもしれない。だが、こんなところで同じところを回転しているよりは、何らかの展開があるかもしれない。
「義勇さん」
 ……炭治郎の声?! 俺は振り返った。
「あ、やっぱり義勇さんでしたね」
 炭治郎がとてとてとやって来る。何だ? 焼き芋を持ってるな。
「その芋はどうした?」
「あ、買って来たんです。善逸と伊之助に。義勇さんも食べます? 焼き芋減ってたら伊之助のヤツ怒るだろうな……ま、いっか。俺のを分ければいいんだし」
 炭治郎はにこにこしている。こういうところは普通の少年と変わりない。
「いただこう……あちち……」
 炭治郎がくすっと笑った。
「何だ、炭治郎」
「いえ、そうしていると、義勇さんも普通の人なんだなって感じで。いつも冷静で落ち着いてるし。……初対面の時とか、近寄りがたかったから、あの……でも、初めて会ったあの時は、本当に、ありがとうございました。禰豆子を殺さないでくれて。それから、俺のこと奮い立たせてくれて」
 そんなことで礼を言われるとは思っていなかった。しかも、可愛らしくお辞儀までして。俺はつい、含み笑いをしてしまった。俺にとっては焼き芋も鮭大根と同じくらい、好物になるかもしれないな。
 俺はこの後、何よりも嬉しい言葉を炭治郎からもらった。
 ――俺、少しでも義勇さんに近づきたかったから、義勇さんのこと、名前で呼んでいるんですよ、と。もう、告白のことなどどうでも良くなってしまうくらい、俺は舞い上がってしまった。
 炭治郎、焼き芋、旨かったぞ。お礼に今度鮭大根を食べるチャンスが来たら、お前に全部やるからな。

後書き
今回は18禁です。ぬるいですが。
冨岡さんの一人称。書いてて楽しかったです。
夢草紙を検索したら、思ったよりいっぱいあってびっくりしました。
2020.09.06

BACK/HOME