夢の中へ

「うぉぉーっ! 祭りだ! 祭りだ祭りだ!」
「伊之助……ちょっと静かにしてくれないかな……」
「そうだよ。お義兄様の言う通りだよ……一緒に歩いてて恥ずかしいよ……」
「はは、お義兄様ね……」
 炭治郎は困ったような顔をしてこめかみを掻く。お囃子が遠くで鳴っている。夏の暑さは固形となって俺を押しつぶそうとする。俺は、そんな濃い大気もすきだけどな。というか、炭治郎……。
「炭治郎は彼女とか連れて来てねぇの?」
「またそれか……善逸ったら……」
 善逸……それが俺の名前だ。苗字は我妻。女の子が夢中になって追いかけ回す男、それが、この、我妻善逸さ。でも、いろいろ浮名を流して来たけど、今はもう、禰豆子ちゃん一筋だからね。
 ――綿あめの甘い匂いがぷんぷんするな。そういえば、腹減った……。
「なぁなぁ、勘治郎、あれは何だ!」
「あー、あれか。あれはヨーヨー釣りだな」
「面白そうじゃねぇか! 行くぞ! 新次郎!」
「あ、待って……善逸ごめん、禰豆子宜しく!」
 炭治郎が駆け出して行った。ふっ、伊之助のヤツ、いい仕事するじゃねぇか。それに炭治郎……この俺に禰豆子ちゃんを託すなんて、やるじゃん。
「ね……禰豆子ちゃん、行こうか」
「ふぐっ!」
 竹の枷を咥えさせられているけれど、禰豆子ちゃんは本当はとても美少女なんだ。でも、鬼になってしまって……禰豆子ちゃんも可哀想だよなぁ。こんなに可愛いのに鬼にされてしまうなんて……。
 俺達もいるし、炭治郎もいろいろ調べて頑張っているんだけどなぁ……。
「チュン、チュン」
「ん、チュン太郎。お前も祭り楽しいか?」
「チュン!」
 チュン太郎は俺の鎹鴉。鎹鴉つか、雀だよな……。鎹雀? しかも、俺にはチュン太郎の言っていることがわからない。炭治郎にはわかるみたいだけど。
 でも、それで良かったと思っている。炭治郎の話聞いてると、チュン太郎って説教臭そうなんだもんな……。
 ま、まぁ、禰豆子ちゃんと二人きりになったんだし、まずは手でも繋ごうか……ね、禰豆子ちゃんが迷子になったら困るからな。決して不埒な考えで手を握るわけではないからな、炭治郎。うん。
「ね、禰豆子ちゃん……手を繋ごう。はぐれると困るから」
「ん」
 禰豆子ちゃんが手を差し出す。俺達は手を繋ぐ、というか、禰豆子ちゃんの手、餅肌~! 柔らかい~! あー、生きてて良かった。俺、手を繋ぐだけでも断られること多かったもんな……。
 接吻は……また今度にしよう。俺にはちょっと刺激が強過ぎる。
「猪突猛進!」
「伊之助! 急に走り出すなよ! お客さんにぶつかったらどうすんだよ! 危ないよ!」
 あーあ。炭治郎も大変だなぁ。伊之助のお守りで……。
 俺は禰豆子ちゃんと連れ立って祭りを堪能するか。炭治郎と伊之助は何とかなるだろ。俺には伊之助達より禰豆子ちゃんの方が大事だ。あの二人だって、伊達に修行をしていない。
 ……俺だって、一生懸命修業をした。嫌だったけど、今はそれが良かったと思ってる。だって、禰豆子ちゃんや炭治郎達を守れるんだから。
 いや、俺の方が守ってもらってんのか? まぁいいや。
 俺は、竹枷のせいで喋れない禰豆子ちゃんにいろいろ話しかける。……ああ、禰豆子ちゃんが喋れたらなぁ……でも、禰豆子ちゃんの美貌を見ているだけで幸せ……。
「あ、風車だよ。禰豆子ちゃん」
 風車はからからと鳴っている。禰豆子ちゃんは興味を示したみたいだった。
「いいねぇ、風車。買ってあげようか? 禰豆子ちゃん」
「んっ」
 禰豆子ちゃんが頷く。俺は女に全財産巻き上げられたことがあるんだぜ。それに比べれば、風車なんて……。そういえば、炭治郎と冨岡さんが風車を買って来てくれたこともあったっけ。
「禰豆子ちゃん、もっと高いの買ってあげるよ」
 鬼殺隊からは十分な給料が出ている。禰豆子ちゃんは鬼だけど、人を食べたことがないから、今は鬼殺隊からお目こぼしをいただいてる。
 いいや! 禰豆子ちゃんは絶対に人なんか食べない! 禰豆子ちゃんは、いい鬼なんだ!
 それに、俺……ううん、俺達がいつか人間に戻してあげるんだから……。
 禰豆子ちゃんは、風車の前からどかない。困ったな……。その時だった。
「夕子ー!」
 若い女の声だ。急ごう! ……と思うより先に禰豆子ちゃんが走り出していた。
「夕子が、夕子がいなくなったのー!」
 え? 女の子がいなくなった?! それは一大事! でも、どこへ……。禰豆子ちゃんは上を見上げた。
「んっ!」
 え?! 何あれ……!
「お母さーん!」
 一つ目の巨大な……鬼?! 何で皆気づかないんだろう。皆、鬼の姿を通り越している。
 現実との位相をずらしてんだな。きっと。
「炭治郎に連絡を……!」
 その時、禰豆子ちゃんが俺に向かって、「んっ!」と言って眉を上げた。
 俺は、今、男として、禰豆子ちゃんに頼られているんだ。ここで引いたら男じゃない!
 幸い、鬼は人影少ないところに向かっている。
「わかったよ、禰豆子ちゃん! 炭治郎はキミが呼んできてくれ!」
「んっ!」
 そして、禰豆子ちゃんは走り出した。俺も鬼を追って、禰豆子ちゃんとは別方向へ走り出す。人影のいないところへ鬼は行く。……ここまで来れば、もう誰も見ていないだろう。俺は自分を囮にして、夕子ちゃんを逃がそう。
「何だ? お前……俺の姿がわかるのか?」
 鬼が喋った。雑魚鬼のくせに! 体が震えて来るのがわかる。
「こ、これでも鬼殺隊なもんでね……そ、その娘を離せ……」
「ほう……その代わり坊主、お前が食われてみるか? ……なんてな。娘もお前も両方いただくぜ……!」
 くそうっ! 足が動かない! そういえば、いつも傍には伊之助やら炭治郎やらがいて、助けてもらっていた。でも……早くしないとアレが来ちまう……!
 鬼は、大きな爪をこちらに向けた。あっ、もう無理……。アレが、来ちまう……。
 プツッ!
 俺の意識が途切れた。ああ、もう……アレが来ちまったじゃねぇかよぉ。アレは嫌なものだ。怖いものだ。気が付くと、鬼の死体が転がっていることも一度や二度ではない。
 アレが来ると、俺は夢の中へ入って行っちまう。……けど、夢の中でなら、俺は最強の剣士だ。俺は、覚悟を決めた。暗闇の中で鬼の気配、いや、音がする。俺の聴覚は半端ではないのだ。
 ……そこか!
「霹靂一閃!」
「ぐわああああああっ!」
 ……鬼の命が途絶えた。そんな手応えがあった。ああ、これが夢ではありませんように……。でも、夢なんだろうな、きっと。……まぁいいさ。やれるだけのことはやった。後は炭治郎達や隠に任せて……。俺は、どさっとその場に寝転んだ。
「お兄ちゃん、黄色いお兄ちゃん!」
 女の子の呼ぶ声がする。誰だろ……夕子ちゃんて子かな……。夕子ちゃんはまだ俺の圏内じゃないけど、大人になれば……いやいや、俺には禰豆子ちゃんがいる。
「死なないで。お兄ちゃん……!」
 死なないで……。
 記憶の中で声が重なる。これは、あまりはっきりとは聞いたことないけど、きっと禰豆子ちゃんの声……。俺は、かっと覚醒した。
「禰豆子ちゃん!」
 俺は、そう叫びながら起きた。夕子ちゃんの母親と、それから夕子ちゃん……。男の人もいる……。きっと夕子ちゃんの父親だろう。夕子ちゃんの父親が訊く。
「大丈夫ですか? そのう、お名前は?」
「善逸です。我妻善逸」
「このお兄ちゃんが助けてくれたの。とてもかっこよかった! 夕子、このお兄ちゃんとなら結婚してもいい!」
「おやおや……」
「ははっ、ねぇ、夕子ちゃん、俺にはもう心に決めた人が……」
「おーい、善逸ー!」
 炭治郎と伊之助がやって来た。禰豆子ちゃんと一緒に。
「んっ」
 禰豆子ちゃんが俺に近づいて、竹枷越しに接吻をしてくれた。ああ、女神の口づけだぁ……幸せ……。俺は、一瞬でメロメロになってしまった。
「その人、お兄ちゃんの婚約者? 綺麗な人……」
「そうだよ。この人は、竈門禰豆子ちゃんと言って、お兄ちゃんの大好きな人だ。今は無理だけど、将来、共に人生を歩んで行きたい、大切な人なんだよ。禰豆子ちゃんがいるから、俺は頑張れる。夕子ちゃんにもきっとそんな、大切な人が現れるさ」
 だから、これで我慢してくれないかな。……俺は、夕子ちゃんの頭を優しく撫でた。
「うん……」
「ありがとう。善逸。鬼をやっつけてくれたんだね」
 と、炭治郎。
「え? これは炭治郎がやったんじゃねぇの?」
「ったく、どうしようもねぇ馬鹿だな。お前は」
 伊之助! お前にだけは言われたくないね! お前にだけは!
 喧嘩を始めた俺らに夕子ちゃんの両親が苦笑している。俺らを見る禰豆子ちゃんの目が優しくなったように思った。夕子ちゃんと炭治郎はにこにこ。そんな、楽しくて怖くて、でも暖かい、夏の夜の出来事。

後書き
多分夏に書いた作品だと思います。
夏祭りって楽しいけれど少し怖いですよね。
そういうところを書けていればいいな、と思います。
2020.12.10

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