義勇さんは渡さない! 後編

「義勇さん……」
 義勇さんの匂いがする。俺の大好きな匂い。義勇さんはまた接吻しようとしている。唇が、あと少し、もう少し……。
 ドタドタドタ、と廊下を走る音がした。この匂いは……!
「炭治郎ー! 未来のお義兄様!」
「平八郎。さっさと来い。もう寝る時間だぜ」
 善逸……伊之助……。
 邪魔をされたと言うのに嬉しくて、俺はつい笑ってしまった。見ると、義勇さんはいつもの仏頂面に戻っている。でも、機嫌を損ねた訳でもないらしい。何だか俺達を羨ましく思っているようなのだ。
 匂いで、義勇さんの気持ちがわかる。はしゃいでいる善逸と伊之助の気持ちもわかる。皆、俺のことを仲間として認めてくれているんだ。
「炭治郎。仲間は大切にした方がいいな」
「はい! 伊之助達と寝て来ていいですね!」
「ああ。また機会はあるからな」
 義勇さん……一人にするのは気の毒だけど……あ、そうだ。
「義勇さんも一緒に寝ません?」
「そうだな。何なら、ここに布団敷いて寝ても構わんぞ」
 義勇さんの部屋は広い。俺達は並んで横になった。皆、寝静まった。でも、俺はなかなか根付けなかった。
 義勇さん、しのぶさんと、他の時にも接吻したのかな……。
 気になる。義勇さんは静かに目を閉じている。俺には訊く勇気がなかった。何だか義勇さんも寝てなさそうに思うんだけど。
 しのぶさんは、美人だし、胸は大きいし……言い寄られたら悪い気はしないだろう。
 義勇さんは、しのぶさんのことをどう思っているんだろう。
 でも、そのことについては、匂いだけではどうしてもわからなかった。

「朝だ!」
 伊之助が叫ぶ。日の光が眩しい。……善逸が眠い目を擦っていた。
「伊之助、うるさいよ……」と、善逸。
「早寝早起き出来ないと俺の子分とは認めないからな! ああ、でも、お前は一生寝てた方がいいかもな!」
「何だよ、それ! どういう意味だよ! 遠回しに『死ね』って言ってんのか?! 禰豆子ちゃんと結婚するまでは俺は死なないぞー! 禰豆子ちゃんが俺に命のともしびをくれたんだからなー!」
「そっちこそ、何訳のわからないこと、ごちゃごちゃ言ってんだよ!」
 ……俺は溜息を吐いた。
 伊之助が善逸に「一生寝てた方がいい」と言うのは善逸は寝てた方が強いからであって……別に善逸に死ねなんて言ってない。伊之助はあれでも優しい……というか、善逸が穿ち過ぎなんだ……。
「うるさいぞ馬鹿者!」
 二人はついに本を読んでいた義勇さんに怒られた。
「朝餉にする。鮭大根作ってやるから待ってろ」
「あの、義勇さん、食べたら俺、ちょっと出かけて来るんで。あ、何か手伝いましょうか」
「……別にいい。お前達は客だ」
 そして、すっと立ち上がる。義勇さんの鮭大根か……美味しいんだよな……。
 ちょっと、手伝えないのが寂しい……。でも、俺には俺で、引っかかっていることがあるから。
 本当は義勇さんもしのぶさんのことが好きなんじゃないだろうか……。それを確かめに、朝ご飯を食べたらしのぶさんの家に行くんだ……。
 義勇さんの作った鮭大根は、本当に美味しかった。

 ついにしのぶさんの家に着いた。手土産持ってないけど、大丈夫かな。でも、そんな余裕ないし……。俺はとんとんと扉を叩いた。
「すみません。竈門炭次郎です」
 しのぶさんはすぐに出て来た。
「はい。おはようございます。炭治郎君。朝からお元気そうですね」
「ええ、まぁ……それだけが取り柄なんで」
「入らない? お茶菓子くらいは用意して差し上げますからね。毒は入っていませんよ」
 しのぶさんはにこにこしながらちょっと怖いことを言う。しのぶさんは毒を使って敵を倒すのだ。
「あ、別にそんなこと疑っている訳では――」
「はい。美味しい羊羹が手に入ったのですよ。お茶と一緒に食べましょう」
 俺は居間へ通された。羊羹は美味しかった。
「炭治郎君は何の御用でここに来たんですか? 私は炭治郎君が来てくれてとても嬉しいですよ」
「えーと……」
 俺はちょっと戸惑った。訊いてもいいんだろうか。この人に。……そうだよな。しのぶさん、義勇さんに接吻してたもんな。俺の義勇さんに……なんて、俺も独占欲が強過ぎるけれど。
「しのぶさんは、義勇さんのことが好きなんですか?」
 さらさらと窓の外の梢が鳴った。
「はい。そうなんです。冨岡さん嫌われ者だから、私が好きになってあげないとと思って」
 それが、俺の逆鱗に触れた。
「義勇さんは嫌われ者じゃありません! 俺は義勇さんが大好きです! あなたに義勇さんは渡しません!」
 しのぶさんは黙ってしまい、お茶を飲んだ。それから、口を開く。
「そうだったんですか。……でも炭治郎君は男だから、ちょっと不利だと思いますよ」
「そんなこと関係ありません。実は俺、義勇さんと寝ました」
「……やっぱりそうでしたか。私も結構聡い方なんですよ。君と冨岡さんの仲は疑ってました。そうですか。やはり、冨岡さんは炭治郎君と……ここはひとつ、冨岡さんの目を覚まさせないといけないでしょうか」
「何をする気ですか?」
「何もしません。ただ、待ってます。冨岡さんに釣り合うのは、私しかいませんから。それに、あの人の理不尽さについて行けるのも私しかいないんですよ」
「お……俺も、ついて行けます」
 それに、俺にしてみると、しのぶさんだって理不尽なところがある。
「……あれが終わったら、私は冨岡さんに告白するつもりでした。ちょっと遅かったようですね。だめですね。私ったら相変わらずうっかりさんで」
 しのぶさんが、てへっ、と笑う。
「でも、渡すも渡さないも……冨岡さんが決めることですから」
「わかってます」
 俺は返事をした。
「今、三人で暮らすことも考えましたが……私。冨岡さんを独り占めしたいんです」
「俺もです!」
「では、私と炭次郎君は恋敵ということになりますね。愛は障害がある程燃えるものなのですよ。冨岡さんはドジだし嫌われ者だから、私が守ってあげないと」
「義勇さんは嫌われ者じゃありません」
「それはさっき聞きましたよ。嫌がらせですか。……それに……私も嫌われているから……。炭治郎君は、どうして私達を放っておいてくれないのかしら。君には沢山のお仲間がおありでしょう? 冨岡さんまで私から取り上げること、ないではありませんか」
「う……」
 何だか……しのぶさんが可哀想になって来た。俺だって、出来ることなら、義勇さんとしのぶさんの仲を祝福したい。
 でも、俺の中の何かが、冨岡義勇は渡せないと言っている。仲間がいたって、その想いは止められないんだ。例え、しのぶさんが泣いても、義勇さんに愛されなくなったとしても、この心は、想いは……。
「ごめんなさい。しのぶさん……」
「それは、哀れみですか? 自分が優位に立っていることからの」
「そんな……! ……そう思われても仕方ないですけど」
「炭治郎君は優しいですね。でも、その優しさが命取りなんですよ。それに……ここだけの話、私の命はもう長くないんです」
「え、どう言うことですか?」
「秘密ですよ。ただ、私は毒が使える、とだけ言っておきましょうか。だから……死ぬ時まで、冨岡さんと恋でも語らいたいと思ってしましたが、君がいては無理ですね」
「しのぶさん……」
「そんな悲しい声でしのぶさん、なんて呼ばないでくださいな。私はあなたの恋敵でしょう?」
 そう言って、しのぶさんはまたにっこり笑った。この人からは甘い匂いがする。そりゃ、優しい匂いじゃないけれど、でも、この人は本当は、とても優しい人なのかもしれない。
(しのぶさんて複雑なんだよな……)
 いつか、善逸が言っていた。善逸は勘が鋭い。どうも、しのぶさんのことは警戒しているようなんだよな。善逸は、しのぶさんに物事を教えられている時は舞い上がっているように見えるけれど。
 しのぶさん、綺麗だもんな……。
 俺はしのぶさんをじっと見る。しのぶさんは端然と座って微笑んでいる。
「どうしました? 私に惚れたなんて言いませんよね?」
「ええ、俺には義勇さんが……」
「炭治郎君は固くて真面目さんだからうっかり冗談も言えませんね。冨岡さんも苦労しそうです。善逸君や伊之助君の方が面白いですね。……善逸君は私の正体に気づきかかっていますよ」
 そう……なんだろうか……俺は、普通にしているだけなのに。それに、善逸はああ見えて勘が鋭いから、しのぶさんの秘密にも手が届こうとしているのはないだろうか。
 でも、それは毒を使って義勇さんをどうこうしようとか、そんなものではないと思う。この人からは、何だかあったかい、でも、哀しい匂いがする。こんなに綺麗に微笑めるのに。
「冨岡さんのことがなかったら、私達、お友達になっていたかもしれませんね」
 しのぶさんは笑みを崩さない。それが、一層哀しい。
 この人も、義勇さんを譲れないんだ。でも、俺だって、義勇さんを渡せない。義勇さんは俺のことを愛していると言ってくれ、抱いてくれた。俺と禰豆子の為に命を賭けてくれた。だから、俺も、義勇さんの為だったら、命を賭ける。
 しのぶさんは義勇さんと、どこか似ている。年齢も、性別も、匂いだって違うのに……。しのぶさん、俺はもう、あなたの友達です。

後書き
しのぶちゃんはどう思っているかわかりませんが、炭治郎くんはしのぶちゃんが好きだと思います。
恋愛感情無しにですが。
善逸くんや伊之助くんも、少しは書けて良かったです。
2020.10.22

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