とみぎゆにっし

「ただいま、義勇さん」
 竈門炭治郎の言葉に俺は、はっとした。
「夕飯の材料買って来ましたよ。――あ、カナヲもいたんだ」
「こんにちは。お久しぶり」
 栗花落カナヲは可愛らしい声で言った。嘴平伊之助がずんずんとこっちに向かってやって来る。
「おー、菅一郎、ご苦労」
「もうー。伊之助ってば……俺は炭治郎だと何度言ったらわかるんだ。……七回に一回は『炭治郎』と呼んでくれるとしてもさ」
「何だと? 炭治郎!」
「だから俺は炭治郎だと……あ、合ってる」
 我妻善逸がたたた、と走って来た。
「おーい、炭治郎。今日の夕飯何ー?」
「冷奴だよ」
「わーい。俺、冷奴大好きなんだよな。あの鰹節の香りがいいんだ。俺、美食家だもん」
 ……ふう。すっかりこいつらのペースだな。だが、賑やかだとは思っても煩いとは思わない。誰も人を傷つけようとする輩がいないせいだろう。伊之助も善逸も心根は強く優しい。
 そして、炭治郎の周りにはいつも笑顔が溢れている。
 炭治郎は、流石、俺や鱗滝さんが見込んだだけあって根性のある努力家だ。それに、こんな働き者な男に俺はまだ出会ったことがない。炭治郎の妹の禰豆子は鬼の性に逆らって、人を食べることをせず、睡眠で体力を回復させている。
 今もまだ眠っている。竈門炭治郎に似て根性が据わっていて、しかもかなりの美少女なので女好きの我妻善逸が一生懸命追いかけている。気持ちはわからんでもない。
「これから作って来ますね。義勇さん」
 俺はそれに、「ああ」と答えた。
 今まで独りでこの屋敷にいたけれど、ひょんなことからこいつらに関わることとなった。
 炭治郎は鬼を倒す為。そして、禰豆子を元に戻す為。……鬼舞辻無惨を倒す為。
 だから、俺はやれるだけのことはやる。出来る限り力を貸す。炭治郎の為だったら、この命、惜しくはない。
 男に惚れたのは初めてだった。このままだと冨岡家は俺の代で絶えるな。まぁ、いいけれど。
 炭治郎は竈門家の長男として、子孫を残すことも大切だろう。それにはカナヲと結婚すれば一番いいと思っている。少し胸は痛いがな。
 俺は、知らず知らずのうちに胸を押さえていた。
「どうなさいました? 冨岡さん」
 カナヲが訊いて来た。優しい娘だ。
「いや、俺の選択が間違ってなかったのを喜んでいるのだ」
「? それにしては何だかお顔の色が優れないような……」
「いや、いいんだ。こっちのことだ……」
「義勇さんの顔の色が優れないって?! 大丈夫ですか?! 義勇さん!」
 俺の異変を聞きつけて、炭治郎が駆け戻って来た。
「ああ、大丈夫だ」
 恋煩いだ。お前に。そう言ってやったら、炭治郎はどう答えるだろうか。俺もです、と答えてくれたら俺も嬉しい。冗談だが。
 炭治郎にはカナヲみたいな美人が似合う。俺は身を引こうと密かに思っている。
 それは、炭治郎とは体を重ねたことはあるにはあるが。カナヲの気持ちを知るまでだったから、炭治郎も俺も罪にはならないだろう。いや、俺は、炭治郎がいつか女と恋に落ちることを知っていながら抱いたのだ。
 罰を受けるなら、俺一人でいい。
「少し寝ていた方がいいのでは……」
 炭治郎が俺の顔を覗き込んだ。……可愛い少年だ。
「いや、ほんの少し安静にしていれば治る。カナヲ、炭治郎を手伝ってやってくれ」
「は、はい」
 俺は取り持ち役を演じることに決めた。
「カナヲちゃ~ん、俺も何か手伝おうか?」
 と、善逸。お前には禰豆子がいるだろうが。
「善逸。炭治郎とカナヲの邪魔をするな」
 俺はぎろりと善逸の方を睨んだ。俺だって鬼殺隊の柱と呼ばれてきた男だ。善逸が恐れをなすのも当然と言うべきだろう。
「わ、わかりました。冨岡さん……」
 善逸は涙目になっていた。不細工と称される男だが、一部の女の間では可愛いと評判が集まっているらしい。女と言うのはわからん。
 炭治郎みたいな額に痣があるとはいえ、美しい、魅力溢れる少年ならまだわかるのだが。
 ……俺もいい加減、炭治郎びいきだな。
 俺は部屋に戻って、さらさらと日誌を書きつけていた。墨の匂いが己の背筋をしゃんとさせる。
『五月五日、晴れ。いつもの三人がやって来る』
 いつもの三人……その言葉に、俺は我知らず胸が暖かくなった。
『栗花落カナヲも来た』
 おおかた、しのぶがけしかけたのだろう。仕様もない奴だ。
 でも、あの時……俺と炭治郎が宿から家へ帰ろうとした時、しのぶは俺の唇に接吻したのだ。……あいつは実は俺に気でもあったというのか? あんなに俺のことを嫌っていながら。
 女心というものはわからん。しのぶはただ単に俺を炭治郎から奪い取りたかっただけかもしれない。……いや、そこまで性悪な女ではない。胡蝶しのぶと言う女は。
 俺が好いた女はしのぶだと言うのに。
 でも、もう手遅れだな。俺の心は炭治郎に持っていかれてしまった。例え炭治郎にそんな気がなくてもな。
 しのぶの為に死ぬことはないかもしれないが、炭治郎の為なら死ねる。
 だが、この想いは墓までもって行こうと思う。
 カナヲは俺が炭治郎の為に選んだ女だ。己が相手と結ばれないのなら、せめてこれは、と思う女を宛がうぐらい、いいのではないか。それが男の我儘だとしても。
 俺は既に炭治郎の将来を操っている。
 計算違いはないつもりだ。カナヲはいい女だ。俺が考えていたよりも更にいい女だった。まだ若いカナヲと寝たことはないが、俺はカナヲを通して炭治郎を愛することに決めたのだ。
 ……しのぶが知れば、俺のことを卑怯者だと詰るかもしれない。何故、直接炭治郎にぶつからないのかと怒るかもしれない。
(そんなだから、冨岡さんは皆に嫌われるんですよ)
 嫌われたって仕方がない。俺はそれだけのことをしている。俺は炭治郎の操を奪った。体の命じるままに。
 カナヲ。どうか、炭治郎を幸せにしてやってくれ。俺はどうとでもなる。そして、善逸に伊之助に禰豆子、炭治郎を頼んだ。
 伊之助あたりなんかは、そんなこと言わなくても子分を守るのが親分の役割だろうが、と言って張り切るかな。
 くすり。
 俺は、密かに笑っていた。炭治郎の周りにはいい奴らがいっぱいいる。しのぶには俺で我慢してもらおう。しのぶが俺を嫌っていてもな。
 俺は夢中になりながら、よしなしごとを書きつけていく。襖の向こうから声がした。
「義勇さん、ご飯が出来ました」
「ああ、今行く。先に食しててくれ」
 冷奴だったな。鮭大根程ではないが、豆腐があまり自己主張しないので俺は好きだ。醤油や鰹節や葱などで味をつければいいからな。
 俺は日誌の続きを書き終えると、筆と墨汁を片付けて食堂へ向かった。ほかほかと櫃に入った飯が湯気を立てている。飯と櫃の木の匂いがした。
「あ、カナヲ、義勇さん来たよ。義勇さんこっち」
 炭治郎がぱっと顔を輝かせた。可愛い……。
「ご飯と味噌汁はカナヲが作ったんだよ。カナヲは何でも出来るんだよ。すごいよね」
「炭治郎が主になってやったのよ。私は炭治郎を手伝っただけなの」
「そうか。旨そうだな」
「旨いに決まってんじゃないすか! 冨岡さん! カナヲちゃんみたいな美少女が作ったんですよ! 顔の良さは料理の腕にも反映するって!」
 さっきカナヲが、炭治郎を手伝ったと言ったことを善逸は全然聞いていなかったらしい。耳がいいらしいが、都合の良いことばかり聞く耳だ。作ったのは何もカナヲだけじゃない。この飯は、炭治郎とカナヲが一緒になって作った飯なのだ。
 善逸のことは、顔で女を計る奴だな、と最初は思った。そして、あそこまで行くといっそ清々しいかもしれんな、と。
 だが、善逸はどうやら女性一般に優しいようだ。漢気もある。もしかしたら、我妻善逸という男はとてもいい男なのかもしれない。……この俺と違って。
「禰豆子ちゃ~ん。いつか一緒に冷奴食べようね~」
 善逸が脂下がりながら禰豆子の入っている箱に秋波を送る。あそこには禰豆子がまだ眠っているのだ。……この間の戦闘でかなり体力を使ったらしい。ここには雑魚鬼も出るようになったからな。
 炭治郎は少し困ったような、そして半ば呆れているような顔をしている。善逸が炭治郎の未来の義弟になるかもしれんな。善逸なら及第点はやれる。
 伊之助は被り物をしながら食っている。よくあんな猪の被り物をして食っていられるな。器用な男だ。
 尤も、伊之助は女もかくやと思わせるような綺麗な顔立ちの持ち主だ。天元から聞いた話では、美しいと評判になっていたと言う。だが、声は男のものだ。体だって鍛え上げられているし。
 こいつらとだったら、あの鬼舞辻無惨を倒せるかもしれない。
 無惨を殺した後は、俺は静かにこの家で余生を送ろうと思う。どうせ長い命でもない。
 鬼舞辻無惨は、炭治郎の仇なのだから。鬼舞辻無惨が炭治郎の家族を殺した。そう言った話を俺は聞いたことがある。鱗滝さんから。
 どうせ、生きていたって人に迷惑をかけるだけの存在なのだからな。炭治郎が無惨を殺したいと言うなら、俺も手を貸す。
 だが、炭治郎は優しい。優し過ぎる。あんなに優しくて大丈夫なのかと、鱗滝さんは話していたが、俺はそれは心配ないと思う。鬼にだって慈悲は必要なのだ。鬼に変わってしまった、哀れな存在として。
 義勇さん、さっきから手が止まったままですよ、と炭治郎が言う。俺は、思わず微笑みそうになった。
「考え事をしていたからだ」
 俺は、冷奴を口に入れた。炭治郎とカナヲが一緒に作った飯は、暖かい、優しい味がした。俺はつい、家族のことを思い出してまた箸を止めてしまうところだった。
「美味しいですか? 義勇さん」
 炭治郎が笑顔で訊くので、正直に、「ああ」と答えた。良かったね、カナヲ、と炭治郎が言うので、カナヲは、手伝って良かったと、はにかんだように笑った。

後書き
義炭も好きですが、カナヲちゃんも好きです。
義勇さんは蔦子姉さんのことでも思い出しているのでしょうか……。
それはそうと、早く最終巻を読みたいです。
2021.02.04

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