蕎麦屋
義勇さん……。
蕎麦を啜っているところも、絵になるなぁ……。
「何を見ている。炭治郎」
張りのある声が聞こえた。冨岡義勇さんなのだ。ついでに言うと、俺は竈門炭治郎。ひょんなことから義勇さんと出会った。義勇さんはいつでも粋で、かっこいい。蕎麦を啜るところすら、かっこいいんだもんな……。
「あの、冨岡さん……」
「義勇でいい」
……俺は、冨岡さんのことを心の中ではいつも、『義勇さん』と呼んでいる。もしかして、それが通じたのか?
「……義勇さん……」
「何だ?」
「義勇さんて、蕎麦を啜る姿も粋ですね」
「そうか……」
義勇さん、何か微笑んでいる気がする。鮭大根を食べた時のような。鮭大根を食べた時の義勇さんの顔は本当に可愛い。
(あ、見て。あの二人)
(あら、素敵ね)
(特に、あの長い黒髪をひとつに縛った人)
(うん。あの人の目、ちょっと青みがかって見えない? 西洋人の血を引いているのかしら――)
袴姿の女の子達が噂し合っている。本当は俺、冨岡義勇さんの恋人なんだって言いたい。
でも、それは無理。義勇さんに迷惑がかかったら困るから。
だって、俺は義勇さんを好きでも、義勇さんが俺を好きだとは限らないんだから。
戦闘の時はいくらでも強気でいられるけど、こういう恋愛沙汰には慣れてないんだ、俺。でも、俺は本当は誰とも戦いたくないから、義勇さんのことについて思い巡らすのは甘美な悩みだよね。
家族は禰豆子以外亡くなってしまったけど、義勇さんに会えたから、俺の心は少し癒えたんだ。
何もかも、義勇さんのおかげだ。
蕎麦とつゆの香り。ここの蕎麦は適度に冷えてて美味しい。
「お前も、粋だぞ」
え? 俺が? そんな……。
義勇さんにそう言われると、少し照れる。
義勇さんは耳元でこう言った。
「――今晩、宿取ってある」と。
それだけ伝えると、義勇さんは自分の席に戻った。義勇さんは俺の隣に座している。
え、ええええっ?! も、もしかして、あの……。俺はかあっと頬に血を上らせ、体がかちこちに固くなった。
善逸から話を聞いてなければ、何のことかわからなかったかもしれない。こんなに緊張することもなかったかもしれない。善逸は天元さんとの付き合いで忙しいんだ。
でも、善逸から話を聞いていたおかげで、天にも昇るような気持ちになった。
「さっさと食わないか」
気が付くと、義勇さんはもう食べ終わっている。俺も早く食べなきゃ。
「……悪かった。焦らなくていい」
さっさと食えと言ったり、焦らなくていいと言ったり、どっちなんだろう。
ふと義勇さんの方を見ると、義勇さんがまた微笑んだような気がした。
変だよ。俺。
義勇さんといると、胸がどきどきする。でも、嫌じゃないんだ。何だろう。この気持ち。
もしかして、恋、というヤツかな。
思えば、義勇さんも俺も、鬼と戦ってばかりで、こんな時間を持つことはなかなか出来なかった。
本当は善逸と伊之助も来る予定だったんだけど、善逸は天元さんが連れて行ってしまったし、伊之助は……鬼の霍乱。
だから、二人きりでこの蕎麦屋に来たのだ。美味しいと評判のこの蕎麦屋に。確かに蕎麦は美味しいけど。
でも、どっどっと胸の鼓動がなるのを抑えることが出来ない。汗だって拭き出しそうな気分だ。
そうか。これが恋なんだ。恋に生きる善逸がたまにみっともなくなるのもわかる気がする。恋なんて、かっこ悪いものなんだ。でも、どうして義勇さんはあんなに冷静で粋で、かっこいいんだろう。
こういう時こそ、善逸の忠告が聞きたいのに。善逸は女の子が好きなくせに、天元さんの元へ行っちゃったから。
伊之助は猪突猛進で恋愛には興味なさそうだし。
義勇さん、俺の食べるのが遅いんで、呆れてるかな。
ううん。違うみたい。
だって、義勇さんからは、暖かくて優しい匂いがする。俺の好きな匂いだ。
義勇さんは好物の鮭大根を食べている時と同じ匂いがする。こっちまで嬉しくなってくるような、幸せな匂いだ。
「義勇さん、お代わりしたらどうですか? 美味しいですよ、ここのお蕎麦」
ここの代金は俺が払うことにしよう。せっかく、義勇さんの粋な姿が見られたんだ。義勇さんの幸せな匂いも堪能出来た。後は……宿か。
照れるな……。
俺、初めてなんだ。誰かと一緒に同衾するの。今まで、修行や戦闘に明け暮れていたもんな。禰豆子を人間に戻したい一心で。そればかりではない。俺は、家族の仇も討ちたかった。
けど、今は。少し猶予の期間。こんな日があってもいいよね。
今は、戦いも、鬼のことも忘れて。
鬼が来たら戦うだけだけど。今日だけは、来て欲しくなかった。
鬼殺隊にあるまじき考えだけど、今日だけは義勇さんと一緒にいたかった。鬼はそんなこと関係なく襲って来る。わかってはいるんだけど……。
「お代わりか。どうせ俺がここの勘定を支払うんだから、お代わりしてもいいか」
「え? 俺が払うつもりでいましたよ」
「いいや。俺が払う。柱として当然のことだ」
「柱なんて、今は関係ないでしょう!」
ああ、こんな言い合いしたくはないのに。俺は自他ともに認める頑固者だし、義勇さんだってそうだ。
「いいから。年上は立てるものだぞ」
う……年のことを言われると、弱い。
義勇さんはここまで強くなるまでには、俺の知らない苦労をいっぱいしたんだろうな……俺は自分が肩を震わせてるのがわかった。そして、ぎゅっと義勇さんの手を握った。
「義勇さん。俺は、傍に、いますね」
一語一語区切って言った。ずっと、ずっと、傍にいますね。
それがどういう意味を持つか、俺自身にもわからない。でも、俺は、義勇さんから離れたくなかった。こんなに慕わしい匂いのする人から、別れたくなかった。
義勇さんが俺を抱きたいと言えば、俺は自分の操を差し出してもいい。
でも、俺は接吻もまだなんだ。弟や妹達の世話で、それどころではなかった。それでも、あの時は幸せだった。
不幸は突然やって来て……でも、そのおかげで義勇さんに会えたんだ……。義勇さんと一緒に戦うことが出来たんだ。
不幸はやがて幸福に変わる。
禰豆子以外の家族はきっと、あの世というところにいる。そして、今度は鬼のいない世界に転生して欲しい。
「早くしないと蕎麦が伸びてしまうぞ」
義勇さんの横顔が髪に隠れた。頬が赤くなっているように見えるのは気のせいだろうか。
……気のせいじゃない。義勇さんからは照れたような匂いがする。
もしかして、義勇さんも初めて?
だとしたら、すごく嬉しい。
俺達はいつ死んでもおかしくない環境にいる。いつ、鬼に殺されるかもわからない。ううん。俺は、鬼舞辻無惨を倒すんだ。禰豆子の為にも。鬼という、悲しい存在を亡ぼす為にも。
きっと、義勇さんも同じ気持ちのはず。鬼なんて異形の者、ほっとく訳にはいかないんだ。あいつらは、人を食べる。それに、禰豆子を鬼から人間に戻す為にも鬼舞辻無惨やその配下と戦わなくてはならないんだ。
……鬼が皆、禰豆子や珠世さんみたいな存在だったら、鬼殺隊などいらなかったろうに。
「浮かない顔だな。蕎麦をもっと旨いものに変えてもらうか?」
……ああ、義勇さんはやっぱり天然だ。
「いえ、これで十分です」
俺はちゅるっと啜ってから、こう言った。
「俺、鬼のことを考えていたんです……」
「鬼のことを? まぁ、気持ちはわかるが、せっかくの休暇だ。お前には、鬼のことより俺のことを考えて欲しい」
その言葉と、言葉に秘められた匂いに、俺の心臓は射抜かれた。
義勇さんは何ていい男なんだろう。
俺が、義勇さんに劣情を抱いているのを知ってて、いや、そればかりではなく、俺が鬼のことで思いつめていることを知ってて、俺をこの蕎麦屋に連れて来たんだ。
「義勇さん、ありがとう。いろいろ」
「構わん。俺もいい気分転換になった。でも、宿に行っても、お前のその言葉が聞けるかどうかはわからんが」
「義勇さんは、あの……経験はあるんですか?」
義勇さんは、俺の言葉を聞いて、はぁ……と、溜息を吐いた。
「柱になる修行や鬼との闘いで色恋どころではないのは知っているだろう」
義勇さんは嘘をついていない。匂いでわかる。
「こんな感情を持ったのは初めてなんだ。竈門炭治郎。もしかして人より遅いかもしれない。善逸辺りに知られたら馬鹿にされるかもな。俺はちっとも構わないんだが。炭治郎。お前も俺と同じ気持ちなら嬉しい」
義勇さんは真剣な顔でそう言った。……俺の心臓は、宿に着くまで持つだろうか。禰豆子はアオイちゃん達に預けて来たけれど。
後書き
お初の鬼滅の刃の小説です。
実はホーク03さんに誘われまして……(笑)。
初めての義炭小説、楽しかったです。
2020.09.01
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