パン屋の禰豆子ちゃん

「禰豆子ちゃ~ん!」
 俺が声をかけると、わが愛しのマドンナ、禰豆子ちゃんが振り向く。彼女はいつも、焼き立ての美味しいパンの匂いをさせている。
「むぐむぐ……」
 ……禰豆子ちゃんはいつもフランスパンをくわえているのだ。だから、発音は不明瞭なんだけど、そこがまた可憐なんだよなぁ……。そりゃ、いつかは俺も禰豆子ちゃんと麦畑に行ければいいんだけどなぁ……。
「ふぐっ、ふぐっ」
 ああ、可愛いよ、禰豆子ちゃん。俺は禰豆子ちゃんの炭治郎とも仲がいいし。――未来のお義兄様とは仲良くしないとね。
「あっ、いたいた。禰豆子~、あ、善逸もいるんだね」
 ――俺は我妻善逸と言う。
 禰豆子ちゃんは竈門禰豆子で、炭治郎は竈門炭治郎。二人はとっても仲がいいんだ。俺もこの兄妹とは仲良しだよ。
「一緒に帰ろうと思ったんだけど……」
「あー、それが、俺、委員会で……」
 風紀委員会は冨岡義勇先生の担当だ。俺は、冨岡先生が怖い。だって、俺が金髪でいたからって、竹刀で叩いたり、ゲンコツで殴ったりするんだもん。――理不尽だよなぁ。ほんと……。
 でも、この間一緒に弁当を囲んで、そう悪い先生ではないかも、と思った。
 ――まぁ、気のせいかもしれないけど。冨岡先生の暴力はなくならないし。PTAはあの人取り締まればいいと思うよ。
「仕方ないね。帰ろうか、禰豆子」
 ああ、お義兄様……。
「ふうむ、ふぐふぐ……」
「禰豆子ちゃん、何だって?」
 俺は、禰豆子ちゃんの通訳は炭治郎に頼んである。――いつか、禰豆子ちゃんと直接話が出来たらな……。
「禰豆子は善逸と帰りたいそうだよ」
「――むぐっ!」
 禰豆子ちゃんが勢い良く頷いた。神様……!
「じゃあ、禰豆子。善逸の仕事が終わるまで待ってようね。俺が上級生の勉強教えてやろうか?」
「ふむ~っ!」
 禰豆子ちゃん、満面の笑顔だな。可愛いっ! 周りにお花が散ってるよ。
「じゃ、善逸、頑張ってな」
「うん。炭治郎。禰豆子ちゃんのことは宜しく頼んだよ~」
 俺は仕事の間中もうきうきしながら禰豆子ちゃんのことばかり考えていた。

「我妻……もういいぞ」
 あれ? もう仕事終わり? いつもより早くない? それに……そうだ。冨岡先生はいつも通り、俺のことを『我妻』と呼んでいる。それは別にいいんだけど。
「はーい」
 まぁ、俺にとっちゃ渡りに船だけどね。でも、何で早く終わらせたのか気にはなる。
「どうしました~? 冨岡先生」
「お前はその……」
 冨岡先生はごほん、とひとつ、咳ばらいをした。
「竈門兄妹とは仲がいいのか?」
「仲いいなんてもんじゃないですよ。俺と禰豆子ちゃんは将来を約束した仲でして、炭治郎は俺の義兄で……」
 ――嘘じゃないもんね。炭治郎が聞いたら、「嘘だ!」って否定するかもしれないけど……。
「お前は、炭治郎のことを何か知ってるか?」
 はい?
 冨岡先生って、生徒に興味を持つことってあるの? 炭治郎は――そりゃ、日の丸模様のピアスしたりして、校則違反してるんだけど、なんか訳がありそうだし――ということで、冨岡先生も特別に許可しているはずなのに。
 ……俺の金髪は地毛なのに許してくれてないんだ。冨岡先生は。――ふんだ。
「お前と嘴平と、仲がいいんだよな……」
「はぁ……伊之助と俺は別に……」
「紋逸、特訓の時間だぞ! お前は食いしん坊だからな! 甘い物や旨い物食ってばかりじゃ太るだろ!」
 噂をすれば影かよ……。嘴平伊之助……。
「ふーんだ。伊之助め。てめぇは貧乏だから本当に旨いものとか食ったことないんだろう」
「何だとー! ムキー!」
「それで我妻、炭治郎のことなんだけどな……」
 冨岡先生は伊之助をスルーした。伊之助は何か言ってるけど。……ざまぁ見ろ! 俺は物陰から伊之助にあっかんべーをしてやった。伊之助がまた「ムキー!!」と怒る。
「あ、俺、禰豆子ちゃんのことは何でも知ってるけど、炭治郎のことは全然知りませんよ」
 ――だって俺、野郎に興味ねぇもん。
「そ、そうか……」
 冨岡先生は些か困惑しているようだった。
「伊之助……いや、嘴平には……聞いても無駄だろうしな……」
「何だと、ムキー! 権八郎のヤツは、俺をほわほわさせるのが上手いんだぜー!」
「おっ、やっぱりそう思うか」
 伊之助の意外なセリフに、何と、冨岡先生が食いついた!
「あいつ、あいつ、今度俺をほわほわさせようとしたら……」
「させようとしたら?」
 つい好奇心が勝って、俺は口を挟んだ。
「ムキーッ! どうするかわからん! ムキーッ!」
 んー、でも、炭治郎は伊之助にも優しくていいヤツだしなぁ……そうだな、この際……。俺は、
「炭治郎がほわほわさせようとしたら、お礼を言ったらどうだ?」
 ――なんてことをつい口走ってしまった。
「な、何で礼なんて……」
「いやぁ、だって、炭治郎、お前のことを思って言ってんだろ? それにさぁ……」
 俺は伊之助に近づいて小声で囁いた。
「伊之助が礼を言ったら、炭治郎がほわほわする番なんじゃねぇの?」
「おーっ! なるほどそうか! 礼を言われたらほわほわするもんな。ありがとな、紋逸」
「いや、俺は……」
「早速今から行って来る! じゃあな、紋逸!」
 ――やれやれ、すっかり紋逸だぜ。冨岡先生がじっとこっちを見てる。
「随分楽しそうじゃないか? 我妻」
「ひっ……!」
「怖がらなくてもいい。別にとって食おうって訳じゃない。――お前、炭治郎のこともよく知ってるようじゃないか」
「いやぁ……」
 俺は頭を掻いた。だって、炭治郎、禰豆子ちゃんと一緒にいること多いもん。友達だから――自然と詳しくなるよな。それに将来の義兄だし。
「炭治郎は俺のお義兄様だからな」
「そんなことはどうでもいい」
 冨岡先生がバッサリ。
 どうでもいい?! どうでもいいって、炭治郎が俺の義兄になること?
「いや、あの、俺は禰豆子ちゃんにいつかプロポーズするつもりだし……」
 俺は更に言い募ろうとした。冨岡先生が顎に手を当てて考え事をしている。こういうポーズは珍しいな、冨岡先生。いつもなら口より先に手が出るのに。
「冨岡先生、さようなら~」
 ひらひらとした美少女――胡蝶しのぶ先輩が冨岡先生に挨拶をした。俺には「しのぶさん」と呼ばれたがっているようだから、そうしてるけど。
「ああ、まっすぐ帰れよ、しのぶ」
「は~い」
 蝶のような美人は蝶の如く帰って行った。
「善逸~、お~い……」
 炭治郎が手を振る。傍には禰豆子ちゃんがいる。炭治郎が首を傾げる。
「伊之助が俺に『いつもありがとう』って礼を言いに来たけど、俺、何かしたかな?」
「む~むっ!」
「ははは、優しいなぁ、禰豆子は。――善逸。俺は伊之助にいつも親切にしているから、そのお礼だって」
「むん!」
 俺が言い出したことなんだけどなぁ……でも、禰豆子ちゃんも喜んでいるようだし、万事上手く行った。良かった良かった。伊之助は、謎の礼を言った後、猛スピードで帰って行ったらしい。
「俺は……何と言うべきか……竈門炭治郎に対するこの想いは……」
 冨岡先生は一人で悩んでいるようだった。冨岡先生は炭治郎を特別な目で見ているようだった。でも、そんなこと俺には関係ないもんね。
 俺が禰豆子ちゃんと手を繋ぐと、禰豆子ちゃんは微笑んで俺の方を見てくれた。――ふふ、我妻禰豆子……禰豆子ちゃんにぴったりの名前じゃないか。さー、一緒に帰ろうねー。

後書き
キメツ学園シリーズ第三弾!
今回の主人公は禰豆子ちゃん! でも、影薄い……あらら。
「もっと禰豆子ちゃんを活躍させろよ~(by 我妻善逸)」
2022.01.20

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