心のままに生きる

(表が出たら、カナヲは心ののままに生きる)
 そう言って銅貨を投げて、表を出した竈門炭治郎。あの不思議な少年は、元気で、と言って去って行った。
(炭治郎……)
 栗花落カナヲは、銅貨をぎゅっと握りしめた。
(また会えるかな……)
 心のままに生きる。それは何と難しそうなことであろうと、カナヲは思った。今まで師範に決めてもらっていたから――銅貨を通して。
 でも、これからは全部自分で決めないといけないのだ。
 蝶々が花の香りに誘われて、その周りを飛んでいた。
(炭治郎……)
 また、会えるといいな。

 それから、しばらくして。
「カナヲ。話があるの」
「はい、何でしょう。師範」
 カナヲは胡蝶しのぶを師範と呼んだ。
 しのぶはいつもにこにこしているようになった。まるで、カナヲの恩人、胡蝶カナエが宿ったように。胡蝶カナエはしのぶの姉なのだ。しのぶは姉を心の底から慕っていた。
「明るくなったわね。カナヲ。誰か好きな男の子でも出来た?」
「え……?」
 カナヲはつい、俯いてしまった。
「図星なんですね」
 しのぶはにこにこしたまま。
「それが誰かは訊かないわ。私にはわかってますから。カナヲがこんなにわかりやすいとは思ってなかったわ。――炭治郎君なら、冨岡さんのところによくいるわよ」
「えっ?!」
 カナヲは思わず動揺したところを見せてしまった。
「だって……炭治郎君の話をする時はやけに嬉しそうじゃない」
「あ……あれは……」
 何とか否定しようとするが、言葉が出て来ない。
「いいじゃない。姉さんの言っていた通り、カナヲは可愛いもの」
「師範……」
「どうするかはあなたが決めることよ。炭治郎君とも約束したんでしょう? 自分の心のままに生きるって」
「…………」
 カナヲは、もうすっかりお守りとなってしまった銅貨をぎゅっと握った。――自分の心のままに、生きる。カナヲは、冨岡義勇の家に行くことに決めた。勇気を持って。

「こ……こんにちは」
「あ……カナヲちゃんじゃないか! 会えて嬉しいよ!」
 善逸が嬉しそうにカナヲの手を取った。カナヲは、炭治郎にこんな風に手を握って欲しかった。
「やい、てめぇ、餅逸! まだ俺との勝負がついてないじゃねぇか。そんな女、どうでもいいじゃねぇか!」
「あ、私、炭治郎に会いに来たの」
「炭治郎相手か、ちっ」
 善逸は舌打ちした。
「あ、カナヲちゃん、君に文句言ってるんじゃないんだよ。ただ、炭治郎はモテモテで、ちょっと腹が立ったからさ。皆して、あんなかっちん玉のどこがいいんだか……。でも、俺には禰豆子ちゃんがいるもんね~」
 善逸はへらっと笑った。
「未来の義兄に文句言っちゃダメだよね。でも、炭治郎だったら今はいないよ。買い出しに行ってる」
「おい! 損逸! いつまでくっちゃべってんだ! その女と!」
「ちょっと待ってよ。せっかく美少女がいるんだぜ。伊之助。俺には禰豆子ちゃんがいるけど。大事なことだから二度言ったぞ。あ、冨岡さん」
 冨岡義勇が屋敷の中から出たのであった。
「……ん? お前は確か……」
「カナヲです。栗花落カナヲ」
「そうか。ちょっと話がある。来い」
「はい!」
 カナヲは長足の冨岡義勇の後をとことことついて行った。

 畳の部屋は芳しい藺草の香りがする。
「まぁ、茶でも一服。菓子もあるぞ」
「いただきます」
 カナヲは茶をこくんと飲んだ。美味しい……。
「炭治郎はここにはよく来るのですか?」
 菓子と茶を堪能しながら、カナヲは訊いた。冨岡義勇がふっと笑った。この人でもこんなふうに笑うことがあるんだと、カナヲは少々目を瞠った。今まで、仏頂面の彼しか記憶になかったから。
 尤も、カナヲだって人のことは言えないのであるが。この間まで、この人とは話さない、と銅貨を投げて決めた相手にはにこにこと笑いかけるだけだったから。
「よく来る。ついでに言うと、我妻善逸と嘴平伊之助もよく来るぞ。ここを根城にしてしまっているらしい。困ったヤツらだ」
 困ったヤツら、と言いながらも、冨岡義勇の声には暖かさがある。
「禰豆子もいるぞ。ほら、あの箱だ」
 冨岡義勇は禰豆子の寝ている箱を指差した。カナヲも禰豆子には会ったことがある。とても可愛らしい美少女だった。善逸が一生懸命追いかけている女の子だった。
「炭治郎が帰って来る前に話を終わらせてしまおう。……炭治郎のことは好きか? そうであっても少しも不思議ではないがな」
 カナヲは恥ずかしくなって畳の上に目を落とした。
「……はい」
「そうか。俺も好きだ。あいつは真っ直ぐ過ぎる程真っ直ぐなヤツだからな。誰もが何だか惹かれてしまう不思議な少年だ。と、こんな話をしている場合じゃなかったな」
 冨岡義勇が一拍置いた。
「俺はまだ死なないつもりだが、いつ死ぬかもわからない。そこでだ」
 冨岡義勇がカナヲに向かって手をついた。
「あいつを……炭治郎を宜しく頼む」
「え……?」
「俺はあいつを守ると決めた。だが、それが出来なくなったら……栗花落カナヲ、お前が炭治郎を支えてやってくれ」
 さわさわと葉擦れの音がした。風が強くなって来たのだろう。
 この人は、まるで炭治郎の保護者みたいだ。いや……。
「あの……冨岡さんは、炭治郎が好きなんですか?」
「ああ……」
 そう答えながら、冨岡義勇は頭を上げた。
「好きだ。俺は、竈門炭治郎を愛している」
(ああ、この人は……この人も、私と同じ……私も炭治郎を愛している。それがわかったから、この人は自分の気持ちを打ち明けてくれたんだ……)
 その態度は真摯に受け止めて、誠意で答えなければならない。
「私も、炭治郎を愛しています」
「そうか……」
 冨岡義勇が、どこか寂しそうな顔をした。少し儚げに微笑む彼。きっと、この人は、女である自分よりも強く、炭治郎のことを愛しているのだ……。冨岡義勇は続けた。
「炭治郎を助けてくれるか?」
「はい! 私、炭治郎のことを助けます! 全身全霊をかけて」
 カナヲは珍しく声を張った。
「……そうか。その言葉を聞いて安心した」
 端然と座り直した冨岡義勇が茶を味わっている。
「冨岡さんは自分の恋心より、炭治郎のことを考えているのですね」
「……まぁ、責任は感じているからな」
 カナヲは、冨岡義勇がどんなところでどんな風に責任を感じているのか、今は聞かなかった。
「あの人は、私の心を解放してくれたのです」
 自分の心のままに生きるのは、それは大変な、辛いことだったけれども、それでも、以前にはなかった充実感があった。きっと炭治郎のおかげだ。
 今も、カナヲは自分の心の声を聞いている。
 カナヲは冨岡義勇を好きだと思った。恋愛感情ではない。だが、炭治郎を思い遣る心の深さに、今まで感じたことのない感動を覚えたのだ。
「冨岡さん、私、冨岡さんが好きです。炭治郎を想っている冨岡さんが好きです。優しい冨岡さんが好きです」
「……好いた女には嫌われていた」
「冨岡さん……」
 冨岡義勇は整った顔をしているなかなか粋ないい男で、嫌う女がいるとは思えなかったが。きっといろいろ事情があるのだろう。
 冨岡義勇は炭治郎のことを自分に託すと頼む程に、炭治郎のことを深く愛しているのだ。心のままに生きる、と言うのはこう言うことかと、カナヲは襟を正す思いだった。

後書き
カナヲちゃんが主人公です。
炭治郎くんかっこ良過ぎ! あんなの、絶対惚れちゃうよね。
伊之助さえもほわほわさせてしまう炭治郎くんは案外人たらし?
2020.11.19

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