ニールの明日
第三百三十話
「ロンドン橋落ちた♪ 落ちた♪ ロンドン橋落ちた♪」
ヒリング・ケアとシャーロット・ブラウンは手を取って踊っている。それが、リボンズ・アルマークには面白くない。
「うるさいぞ。二人とも」
「……何よぉ、あたし達が楽しそうだからって、やきもち焼かないでよ」
「誰がやきもちやいてるか。せっかくELSを振り切ったと言うのに」
「――あたしだって働いてるじゃないさ。ELSを振り切ったのは誰だと思ってんの? ――そりゃ、リボンズが中心となって逃げたんだけどさ……あたしだって協力したじゃない。文句でもあるの?」
「もんくでもあるの?」
シャーロットが腰に手を当てて、ヒリングの真似をした。
「キャー、シャーロットちゃん可愛いッ! 食べてしまいたいくらい! あ、そういえばもうすぐ昼ご飯ねぇ。リボンズ何食べる?」
「君は食べることしか頭にないのか」
因みに、リボンズ達も地球のグリニッジ標準時間で暮らしている。何となく馴染みがあるのだ。
「僕は――ちょっと休んで来るよ」
「行ってらっしゃい」
「いってらっしゃーい」
手を振るヒリングとシャーロットに、リボンズは「ふん!」と鼻を鳴らした。
リボンズは水をコップにいれると、くっ、と飲んだ。いつもだったらコーヒーか酒だが。尤も、酒を飲んでもリボンズは決して酔わない。イノベイターだからだろうか。
「ふぅっ」
リボンズは口元を手の甲で拭ってベッドに横たわる。
(そうか……もう人間ごっこはしなくていいんだったな……)
アレハンドロ・コーナーはリボンズに酒を飲ませるのが好きだった。ベッドで扱いやすいようにだ。自分も飲む。
リボンズは酔った振りをして彼に身を任せていた。
(僕は……必ず地球に復讐してやる。何が武力による戦争放棄だ。そんなのは下等生物である人間の為の世迷言だろ)
リボンズはもう、食べることも寝ることもしなくていい。そんな自分をリボンズは『神から与えられた最高の肉体』と思っているのだが――。
時々、胸が痛くなるのは何故だろう。
彼は病気になることもない。だから、病気ではない。いずれはこの身も死ぬかもしれないが。
人間は、自分が持っていないものを持っているのかもしれない。――そう思うと腹が立つ。
イノベイターが人間より劣るなんて、許されざることだ。自分は選ばれた身なのだ。ガンダムから、神から――。
自分には何かが足りないのはわかっている。仲良くしている人間の家族を見ていると、気分が悪くなった。それは、或る種の羨望だったのかもしれないが。
――リボンズは復讐を改めて誓った。自分を作り、追い出した地球に対して。
ヒリングもヒリングだ。自分を置いてシャーロットと仲良くなるなんて。シャーロットはイノベイターだから守らなければならない。誠に厄介な問題だ。そして、リボンズにも問題がある。
最近、誰かのことを思い起こすと、心が軽くなる気がするのだ。
困ることと言えば、それが自分の敵だと言うことだ。
今まで、こんな気持ちを感じたのではなかった。――恋、というものだろうか。
アレハンドロや彼の仲間や宿敵――ベッドの中で思うように扱っていた男どもには感じた心のない気持ちだった。
いや、恋ではないかもしれない。もっと……そうだ。もっと崇高なものだ。自分がそう思いたいだけかもしれないが。けれど、その人物との間に劣情が入ってきたことはない。しいて言えば、プラトニック・ラブなのかもしれない。
アレハンドロは、自分を慰みものにしただけだった。けれど、リボンズが好きになった存在は違う。
――その人物の名は、刹那・F・セイエイと言う。
男だが、リボンズはそんなに気にしていない。刹那が自分を救おうと必死になっていることも知っている。
……刹那にも、ニール・ディランディと言う恋人がいることも知っている。
それはまぁ、いい。刹那に恋人がいようがいまいがどうでもいい。ただ、刹那の思考回路が、リボンズには今まで謎だった。刹那は何であんなに真っ直ぐになれるのか。あんな環境で育ったら、自分はもっと狂っていたかもしれない。
(ニール・ディランディか――)
刹那は縁に恵まれていたと思う。自分がもし、アレハンドロに拾われる前に刹那に出会っていたら、或いはニールのような男に知り合ってたら――だが、もう詮無い繰り言だ。
自分は、独りで戦うしかないのだ。
独りで――。
(僕は、ニールが欲しかった。刹那を手に入れたかった)
そして――そして、どうなるのだろうか。そんなことは無駄ではないのか。
アレハンドロはいい道化だった。自分も同じような道化ではないか。自分はアレハンドロのような存在にはならないしなりたくない。
ニールと刹那をこちらに引き込むことはできないだろうか。イノベイターの明日の為に。
リボンズは思った。――出来る訳ないと。
彼らは、倒さねばならない敵なのだ。例え、どんなに優しくとも。どんなに自分のことを想ってくれていても。
自分の妄執が始めた戦いであることも、それを認めたらアレハンドロ・コーナーと同じくらいの道化ということになる。――それは嫌だ。
(ヒリング、幸せそうな顔をしてたな――)
リボンズは唐突に思い出す。シャーロットと一緒にロンドン橋を歌っているヒリングを見て、リボンズは些か不可解なものを心に抱いた。
(何だろうな、くさくさして来た……)
リボンズは人間に似た肉体を持っている。それが人間と違うところは、寿命が恐ろしく長いことである。
もう、既に亡きアレハンドロの思い出が、また記憶の海からやってきた。
(アレハンドロの愛撫では何も感じなかったな――)
それに、自慰をする程性欲に悩まされている訳でもなかった。衝動が来たら、ヒリングかリジェネを呼んでそれを抱く。
ベッドでのアレハンドロは紳士然とした表向きの顔を脱ぎ捨てて、リボンズに襲い掛かって来た。でも、アレハンドロは下手だった。そして勝手だった。自分の欲求を満足させるとそのまま終えてしまった。
――とても、勝手な男だった。
(けれど、何でだろうな。……あいつのことを思い出すなんて。刹那だったらもっと何とかしていたんじゃないかって、考えるなんて――)
愛の行為と言われる行為もアレハンドロにされたあの行為は、リボンズには苦痛でしかなかった。
(愛しているよ。リボンズ)
そう囁きながら勝手に腰を振るアレハンドロ。アレハンドロの美貌に参っている女性達も、あの行為を見たら幻滅するに違いない。アレハンドロはリボンズの体を舐め回しながら甘い声で愛の言葉を吹き込んだ。
(僕はちっとも愛していないけどね)
そう思って心の中でせせら笑っているリボンズ。けれど、感じているように演技をしている。我ながら名演技だったと思う。
最後には、アレハンドロにリボンズが合わせられるようになった。けど、リボンズは疲れていた。早く解放して欲しかった。
だから――アレハンドロを殺すチャンスがようやくやってきた時には欣喜雀躍した。
アレハンドロを殺した時は、嬉しくて腕が震えた。けれど、彼のいない世界はつまらなかった。
愛の技術に不満でも、勝手な男でも、自分が殺した男でも――それでも、リボンズはそれなりにアレハンドロが好きだった。あまりにも愚か過ぎて。
愛してはいなかったけれど、もっと長く飼ってやってもいいかな、と思っていた。
つー、と頬を涙が一筋綺麗に頬を伝った。イノベイターであるリボンズはいつでも美しくあれるのだ。だが、この泣き顔は我ながら嘘だと思った。
何が嘘で何が本当か――リボンズにはわからなくなっていた。リボンズは考えるのをやめようとした。
(何とかなる。何とか――)
リボンズは眠ってしまった。イノベイターでも眠ることは出来るのだ。睡眠は必ず必要と言う訳ではなかったし、無駄に精力は強かった。
リボンズはそんな自分に誇りを持っていた。ウィークポイントがどこにもないと。
そんな、リボンズにも弱点があるようだ。リボンズはそれに薄々気付いていた。
――リボンズの場合、弱点がないのが弱点だった。
弱点がない男が、弱点だらけの相手を愛せるだろうか。相手の弱点をも愛することは無駄なことだと、リボンズは思っていた。
人間は駒。好きなように操れる。だから、リボンズは権力が欲しい。その為になら、体を男どもにいいようにされることなど、何ほどのものではないい。
けれど、ニールと刹那のことは気になっていた。
相反する性質の二人。特に、テロ組織に家を攻撃されるまでは恵まれた家庭に育ったニールと、小さい頃から命を――もう少し大きくなったら体を狙われて生きてきた刹那とは、境遇が違い過ぎる。上手く行くはずがない。
――監視者どもは最初はそう思っていた。
けれど、二人が近づくについて、ニールと刹那の二人は「おや?」と思われ始めた。
あの二人は、近づき過ぎている。互いに互いを慰め合っている。――彼らはお互いを愛している。
これは、どうしたらいいのか、我々に有利になるのかどうか――。
監視者達の結論は、静観する、だった。
その監視者達も今はいない。アレハンドロとリボンズの二人が潰したのだ。
(あの時はこいつを育てようとも思っていた)
アレハンドロがリボンズを操っていると見せかけて、実は操っているのはリボンズの方だった。
(刹那にニール――刹那は立派な戦士になるだろうし、ニールはその先達だ。……何も殺すことはない。あの二人を屈服させる方法はないだろうか――)
リボンズは自分の見た夢を全て覚えている。とても、理路整然として退屈な夢だった。
戦闘している時だけだ。血が滾るのは。生死を賭けたゲーム。MSが爆発したら、如何にリボンズでも命を落とすことがあるかもしれない。そんなスリルを愛して止まなかった。
イノベイターは人間から進化した種だから、熱い血も流れているのだ。
刹那とニールを引き入れられれば、無敵だ――!
だが今は、いろいろとやらなければならないことが沢山ある。――ヒリングとシャーロットの問題もある。
ヒリングは情の深い奴だ。シャーロットを実験動物にすることには全力で反対するに違いない。それとも、新しい玩具をヒリングの為に手に入れてやる、と言ったら、ヒリングは承知するだろうか。
本当はアレルヤとティエリアも手に入れたい。ついでに沙慈・クロスロードも。友人としてではなく、自分に都合のいい道具として。
2021.09.04
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