ニールの明日

第三百五十六話

「…………」
 カプセルから、リボンズがニール達を見返したように思った。
「目が覚めたみてぇだな。このやんちゃ坊主」
 やんちゃ坊主という例えは少々お手柔らかに過ぎるかもしれないとニールは自分でも思ったが……。
「開けるぞ」
 カプセルが開いた。リボンズが無感動な瞳をしている。この男は一体今何を考えているのだろう。自分もイノベイターなのにそれすら読めない。――ニールは刹那の方を見遣った。
 刹那は少しリボンズが気がかりらしい。微笑もうとしているが、その顔は引き攣っていた。
「誰――?」
「……は?」
「君達、誰だい?」
 ――リボンズは今までの記憶を失っていたらしかった。

 まずリボンズの失った記憶については。
 差し当って言語中枢に問題はない。普通に話し合うことも出来る。だが――。
「アレハンドロはどこだ?」
 と、リボンズが訊いた。
「リボンズ。アレハンドロは死んだ」
 刹那が出来るだけ冷静に言った。
「……アレハンドロ! 嘘だ!」
「嘘じゃない!」
「アレハンドロ、アレハンドロ……!」
 リボンズは泣いている。もしかして、リボンズはアレハンドロを愛していたのかもしれないとニールが考えるくらいに。
「だったら……僕の手で殺してやりたかった……!」
「リボンズ……」
 泣きじゃくるリボンズを刹那はあやそうとした。あやす――確かにこの言葉はぴったりだった。
「えーと、何かしら……」
 その場にいたリンダ・ヴァスティが口を開いた。
「リボンズさんは錯乱なさっているようですよ」
 と、リンダの隣にいたアニューはこう答えた。
「それと同時に、退行現象も起こしているようです。今の彼の意識は現実と乖離しています」
 淡々とアニューが続ける。
「アレハンドロ……君の作ったハンバーグが食べたいよ……」
「あの……僕の作ったハンバーグじゃダメかな……」
「しっ!」
 リボンズに話しかけるアレルヤをニールが制した。
「ああ、そうだ……アレハンドロ……僕が殺した……」
「そこら辺の意識はしっかりあるみたいね」
「アレハンドロは自殺じゃなかったのか? 急におかしくなって……」
 刹那が疑問をぶつけた。
「僕が、僕がおかしくしたんだ。あの男を。『アンタは道化だ』って……」
 リボンズは今、少しずつだがとんでいた記憶を取り戻しつつある。それが一種の苦痛になっているみたいだ。刹那はリボンズの顔を覗き込んだ。リボンズは泣き顔を見られたのが恥ずかしいのか、慌てて涙を拭いた。
「俺がわかるか? リボンズ……」
「刹那……」
「そうだ。俺は、刹那・F・セイエイだ」
「ああ、刹那……」
 リボンズは刹那を抱き締めた。
「刹那ーっ!」
「うんうん。お前が無事で良かったよ……」
 刹那はよろけながらもリボンズを抱きとめる。リボンズを攻撃したのはクアンタの妖精のティエリアだ。だが、刹那も責任を感じいているらしい。あの時、ティエリアを止められなかった。ヒューマノイドタイプとは違う、ホログラムのティエリアの方である。
「……リボンズ。刹那。クアンタの突然の攻撃については、夫も済まないと言っていたわ。まだバグがあるらしいと――」
 バグじゃない。
 ニールはそれを悟っていた。リンダはバグと言っているが。クアンタは己自身の意志でティエリアに同調し――リボーンズガンダムを爆破させたのだ。
 救いはリボンズが生きていたというところか……。
 ニールは歯を食いしばった。
(……これからは、リボンズは死ぬより辛い目に遭うだろうな……)
 だが、リボンズには刹那がいる。そして、どこまで役に立つかわからないが、自分もいる。
(リボンズ。お前さんは一人じゃねぇ)
 トレミーの窓の外には星が沢山きらめいていた。まだ大気圏の中だ。
 刹那に力を貸す。そうニールは心に決めた。そして、リボンズにも――。
(ま、腹が減っては戦が出来ぬと言うからな)
「アレルヤ、お前、全員分の食事を頼む。コック長と一緒にな」
「コック長……名前を呼んであげないんですか?」
「悪いがコック長の名前はもう忘れた」
 ニールのぶっきら棒な答えを聞いて、アレルヤはおかしそうに微苦笑した。
「相変わらずですね、ニール、貴方は――」
「お前が変わり過ぎなんだよ! ハレルヤと言う物騒な人格飼ってるくせに――あ」
 言い過ぎた、とニールは咄嗟に反省した。
「ニール!」
 刹那にも怒鳴られた。
「いえ、いいんです。本当のことなので――」
 アレルヤは許してくれたが、ニールは流石に悪かったと思って茶色の巻き毛を掻き上げた。また髪が伸びて来ている。切った方がいいかもしれない。
 こう見えても器用なニールは、自分で髪を切る。刹那の髪はニールが切っているのだが。
(刹那も髪が伸びて来たな――)
 だが、それは刹那の美貌を際立たせている。今の、刹那に懐いているリボンズが刹那に惚れたらどうしうようかと、ニールは本気ではらはらした。
(杞憂で終わればいいんだがな――まさかリボンズが恋敵なんてな……)
 けれども、そんなことはないとも言い切れないニールであった。
 告白したのはニールからであった。
(刹那。俺は、お前が好きだ)
 という、シンプルな告白。刹那もそれに応えてくれた。
 まさか刹那が自分への恋心を翻すとは思わないが、刹那は初めからリボンズに入れ込んでいた。リボンズを救いたいと言っていたのも刹那だ。
(ニール。お前への愛は変わらない。俺もお前が好きだ)
 脳量子波が飛び込んできた。波長が合ったということだろう。ニールは思わずほっこりした。
(やっぱり杞憂か――)
 刹那はマリナ姫への憧れを捨ててまで自分について来た。そして、そのマリナ姫は王紅龍と近々婚約する。いいことばかりじゃないかと、ニールは改めて思った。
「ヒリングは無事かなぁ……」
 リボンズが呟いた。
「ヒリング?」
「僕の友人さ」
(――そうか、ヒリング・ケアがいたか!)
 ニールは思わず喜びで手を叩いてしまうところだった。刹那は反対するかもしれないが、神様は本当にいるのかもしれない。それに、リボンズにはリジェネ・レジェッタもいる。あの、ティエリアにそっくりの――。
 その時、医務室の扉がシュン、と開いた。ティエリア・アーデ本人だった。
(おっと、噂をすれば影だぜ――しかし、ティエリアのヤツ、何しに来たんだろう……)
「リボンズ・アルマーク!」
 ティエリアが美声を放った。しかし、ニールには女顔の美貌のティエリアから男の声が出てくるのにはどうしても慣れない。アレルヤは平気なんだろうか。
「どうしたんだい? ティエリア」
「アレルヤ。君との話は後だ。リボンズ・アルマーク……僕の分身が君に済まないことをした。それをまず謝らせてくれ」
「いや、僕は別に――ほら、こうやって刹那達と話すことも出来るんだし、そう悪いことばかりでもないよ」
「……お前、本当にリボンズ・アルマークなのか?」
「そうだけど? 何だい?」
 ――やけに素直過ぎる。リボンズの笑顔を見て、ニールはそう思った。ティエリアも同じ意見らしい。彼らは目を見かわして頷き合った。

2023.6.20


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